« 2005年4月 | トップページ | 2005年6月 »

2005.05.29

合葬

4480021922合葬
杉浦 日向子


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

 森まゆみの「彰義隊遺聞」を読んで、再度読み直した杉浦日向子の初期代表作。上野戦争に巻き込まれていく3人の若者を通して、江戸の世が否応なしに終わっていく様子を描いた長編作品だ。ガロ連載中に飛び飛びに読み、その後青林堂から出た単行本を購入したが、これは蔵書整理で一度処分してしまい、今回は文庫本での再購入となった。

 これは最初に単行本で読んだときも感じたことだが、物語から彰義隊や上野戦争についての全体像を読み取るのが難しい。主人公となる3人の若者たちを含め、登場人物たちの見分けがつきにくいのも欠点だろう。二度三度読んで、ようやく全体が飲み込めてくるのがこの作品だ。(この文庫版に関しては、サイズが単行本よりだいぶ小さくなってしまったので、ネームが読みにくいという大きな欠点もある。)

 江戸風俗の描写が素晴らしく、著者はここで物語を語ることよりも、江戸情緒を絵巻物のように再現していくことを目的にしていたようにも思う。そのための「視点」を提供しているのが、主人公となる3人なのかもしれない。

 僕はこの作品が映画化されることを願っているのだが(テレビの大型時代劇でもいいけど)、その場合は上野戦争の全体像を見渡せるよう、何らかの工夫は必要になってくると思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.26

彰義隊遺聞

410410003X彰義隊遺聞
森 まゆみ


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

 上野といえば動物園や博物館が有名だが、その上野は江戸が明治に変わる年に戦争の舞台になった。官軍と戦ったのは、幕臣と浪人たちからなる千人あまりの彰義隊。最新式の火器と洋式装備で武装した官軍と、間に合わせの武器弾薬で上野寛永寺に立てこもる彰義隊との戦いは、わずか半日ほどで官軍の圧倒的な勝利に終わったという。彰義隊側の死者は300人以上。生き残ったものは散り散りになって各地に逃げ延びた。この戦争によって、江戸随一の規模を誇る東叡山寛永寺はほとんどが消失してしまった。

 「彰義隊遺聞」はその上野戦争と彰義隊の全体像を、同時代の資料、戦史、日記、手紙、碑文、聞き書き、そして現代に伝わる各種の言い伝えなどをもとにして、立体的に再現している。そこから伝わってくるのは、時代の大きな荒波の中で、精一杯に自分たちの生活を生きた人たちの姿だ。ここでは旧幕臣、郷士、浪人、寺侍、百姓、商人、町人など、さまざまな角度からそれぞれの上野戦争が描写されている。

 上野戦争と彰義隊は、江戸から明治に写る時代の中で、小さな句読点のような役割を果たしているのかもしれない。文章の中の句読点にそれだけでは意味がないように、上野戦争や彰義隊にもそれだけでは歴史的な意味などない。しかし句読点のあるなしで、文章の意味が大きく変わってしまうことがある。歴史の流れの中には、上野戦争や彰義隊が必要とされたのかもしれない。

 この本を読んで、江戸から東京へ流れがなんとなく腑に落ちたような気がする。江戸と東京の間に立ちふさがり、ふたつをつないでいるのが彰義隊なのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.19

フランス映画史の誘惑

4087201791フランス映画史の誘惑
中条 省平


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

 リュミエール兄弟による映画の発明から現代に至るまで、100年以上に渡るフランス映画の歴史を概説したフランス映画史ハンドブック。映画の歴史はハリウッド中心に語られがちだが、この本を読むと第二次大戦前のフランス映画のものすごさというものが伝わってくる。

 ただし本書がフランス映画を大きなまとまりとして語れるのは、1950年代までに限られている。50年代末から60年代に登場したヌーヴェル・ヴァーグ以降は、個々の作家について断片的に語ることしかできなくなってしまうようなのだ。そもそも「ヌーヴェル・ヴァーグ」が一体なんなのか、それすらもこの本を読んでしいてはわからない。映画のテーマにしろ表現手法にしろ、ヌーヴェル・ヴァーグはあまりにも広範囲に拡散しているからだ。

 僕の印象からすると、フランス映画にはフランス映画なりの「まとまり」というものが今でも存在していると思うのだが、この本はヌーヴェル・ヴァーグ以降のフランス映画についてその「まとまり」をつかみかねている。ヌーヴェル・ヴァーグが提唱した「作家主義」というドグマにからめ捕られて、フランス映画を一個のカタマリとして見ずに、個々の作家の特徴を描写することにばかり熱心になっているようにも思う。ただしこれは、作家論や作品論という固有名詞の世界を映画史という普遍的な世界に定着させるには、1970年代以降というのがまだ余りにも近い過去に過ぎるということなのかもしれない。

 僕自身はフランス映画にまったく不案内だったので、フランス映画史というひとつの地図をこの本によって手に入れられたという意義は大きい。フランス映画が好きな映画ファンは、読んで損のない本だと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ウェブログの心理学

475710149Xウェブログの心理学
山下 清美 川浦 康至 川上 善郎 三浦 麻子


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

 この本で「ウェブログ」と呼ばれているのはMovableTypeに代表されるブログ・ツールだけではなく、インターネットで公開されている日記全般だ。(しかしその中でも特に、各種のツールを利用して作成される個人日記が主たる考察の対象とされている。)インターネットにおける個人日記の歴史は、インターネットの歴史と同じぐらい古い。じつは僕も、ブログ・ツールを使う以前から、ホームページの自己紹介ページで自分の日記を書いていた(1999年8月から)ので、この本で取り上げられているいろいろな事例はまさに、自分にとってもリアルタイムで経験してきたことと大きく重なり合う。

 タイトルは「ウェブログの心理学」などと硬くていかめしい印象だが、中身は現時点におけるインターネット個人日記についての調査報告といった印象。個人ホームページの登場、さまざまな和製日記ツールの登場、リンクを使った日記同士の連結とコミュニティ化、SNSへの展開など、インターネット10年の歴史を振り返りながら、インターネットと個人の情報発信について心理学の用語を使いながらまとめられている。

 ユニークなの各種ツールの機能についてかなり細かく記述しながら、そのツール自体を話題にするのではなく、そのツールの登場で何が起きたのかが記述されていることだろう。この本が捉えようとしているのは、ツールの進化ではなく、インターネットにおける個人間コミュニケーションの変化なのだ。

 日本生まれの日記ツールについてかなり詳細な記述があるのに比べると、MovableTypeに代表されるアメリカ製ブログツールのインパクトについての考察が足りないようにも思う。なぜ多くのユーザーがMovableTypeに熱中したのかを考えることで、日本のインターネットユーザーがブログに何を求めていたのかが浮かび上がってくるようにも思うのだけれど……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.16

博徒の幕末維新

4480061541博徒の幕末維新
高橋 敏


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

 甲州の博徒・竹居安五郎が、流刑の地であった新島を島抜けし故郷に戻ったというエピソードから、黒船来航でてんやわんやする幕末の世相と、博徒たちのネットワークに切り込んでいく滑り出しの面白さ。そこからさらに、安五郎という博徒を生んだ甲州竹居村の実情や、百姓の長が容易に無頼の徒と関わりを持っていた社会構造を描き、さらに、嘉永水滸伝の主役となった勢力富五郎、有名な国定忠治、そして黒駒勝蔵と赤報隊の謎を解いて行く。

 面白いのだが、古文書を引用している部分はちょっと読みにくいか。図版は多いのだが、人物の移動が多いので、もっとふんだんに地図があってもよかったと思う。

 黒駒勝蔵など幕末の博徒を、草莽(そうもう=在野)の志士とする視点は面白いと思った。やくざと尊皇(右翼)は昔も今も隣同士なのだ。博徒のネットワークを倒幕運動に利用した新政府が、最後はそれを切り捨てたという著者の視点は、立場は違えども新選組とも通じ合う。じつは赤報隊には、元新選組のメンバーも少なからず参加しているのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.12

爆笑トリビア解体聖書―読んでびっくり!その真実

4860970837爆笑トリビア解体聖書―読んでびっくり!その真実
矢部 正範


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

 「誰も教えてくれない聖書の読み方」が面白かったので、同じような趣旨の本だろうと期待していたのだが、これが大間違い。この本はタイトルとは異なり、「聖書」を批判しているのではなく、それを聖典とするキリスト教を非難しているのだ。しかしその非難の方法がちょっといただけない。著者は聖書についてはかなり読み込んでいるようで、最新の聖書学の成果などにも(読書傾向の偏りはあるようだが)一応の目配りをしている。ところが聖書をもとに批判しようとしている「キリスト教」については、てんで無知なのだ。

 例えば『教会には十字架に磔になったイエスの偶像が祀(まつ)られ、ここかしこにマリア様の偶像あり、胸元にまでイエス様をかたどったロザリオが光る。はたまた、聖遺物(イエス様の遺品など)を拝む』(P.128)と書いてあるのだが、プロテスタントの教会に磔刑像はないのが普通だし、マリア像はまず絶対にない。カトリックの信者が持つロザリオは首にかけるのではなく、ロザリオケースに入れて持ち歩くのが普通だから、ロザリオが胸元に光るクリスチャンというのはかなり特殊な人ではないだろうか。

 安息日を日曜日だとしているのも間違いで(P.130)、旧約聖書の律法で定められている安息日はもともと土曜日。ユダヤ教徒は今でも土曜日に休んでいるし、キリスト教の中でもセブンスデー・アドベンチストは土曜安息を守っている。カレンダーが日曜日始まりになっているのは、日曜日が1週間の最終日ではなく、週の最初の日だからだ。週の最終は土曜日。しかしこの本の著者は、そうしたことをまったく知らなかったらしい。

 こうした著者の主張だから、「聖書はこう書いてあるのにキリスト教徒はそれを守っていない」という類の批判は、ほとんど著者の独断と偏見にもとづいた、イメージとしての「キリスト教」や「キリスト教徒」に向けられたもの。実際のキリスト教徒にとっては、それがどこの誰に向けられているのかまったくピンと来ないのではないだろうか。

 聖書をありのままに読むならそれでいいのだが、ところどころで極めて古典的なキリスト教的解釈で本文を補っている場所もある。例えばルカ19章にある「ムナ」のたとえを批判する箇所(P.192)などはその典型だ。ここでも批判されているのは聖書本文ではなく、その「解釈」なのだ。

 聖書を批判的に読んで矛盾や馬鹿馬鹿しい箇所を笑い飛ばそうという本なら、「誰も教えてくれない聖書の読み方」の方がずっと細かいところまで容赦なく揚げ足取りをしている。どうせお金を払って読むなら、そちらが100倍はおすすめできる。「爆笑トリビア解体聖書」はその足元にも及ばないと思う。

4794964730誰も教えてくれない聖書の読み方
ケン スミス Ken Smith 山形 浩生

by G-Tools

| | コメント (14) | トラックバック (0)

2005.05.10

あの日を忘れない―描かれた東京大空襲

476012666Xあの日を忘れない―描かれた東京大空襲
すみだ郷土文化資料館


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

 近くの本屋で見かけてすぐに買った本。昭和20年3月10日の東京大空襲を体験した人々が、自らの体験を描いた画集だ。平成16年に開催されたすみだ郷土文化資料館の企画展「描かれた東京大空襲――絵画に見る戦争の記憶」のために寄せられた絵を、展示できなかった分も含めて収録している。東京大空襲では10万人の死者行方不明者が出ているのだが、広島長崎の原爆に比べてあまりにも語られていることが少ない。ここに収録されている生々しい体験談の迫力に胸がつまり、平凡な庶民が生きながら焼き殺されていくむごたらしさと悲惨に涙が出そうになる。

 僕が現在住んでいる錦糸町は、60年前の3月10日、焼夷弾が雨のように降り注いだ真っ只中にあたる。この画集には絵の1枚ごとに、描かれた光景の日付、場所、絵を描いた人の名前、当時の年齢、絵にまつわるエピソードなどが併記してある。これを細かく見ていくと、見覚え聞き覚えのある町名や地名が何度も出てくるのだ。巻末には資料として当時の地図が収録されており、その地図上に描かれた絵のページ数が示してある。60年前と今とでは町名が変わっても、街路の基本的な構造は変わらない。いつも歩いている道が、60年前に地獄のような光景をさらしていたのだと考えると鳥肌がたつ。

 中でもぞっとさせられたのは、亀戸駅周辺の光景だ。総武線と小名木川貨物線の分岐点に、焼け焦げた焼死体が折り重なっている風景(P.72)。ここは今でも、まったく同じ地形が残っている。先日そこを歩いたとき、「ああ、ここだ!」と思ったら身震いした。世田谷の太子堂から、空襲で巻き起こる火焔の渦巻きを描いた絵も衝撃的(P.16)。地表から空に向かって、真っ赤な火柱が渦を巻いて突き上げては消えていく。

 あまりにも痛ましくて、泣きたくなってしまうような絵も多い。炎と混乱の中で生き別れになる家族。目の前で爆風に吹き飛ばされ、生きながら焼かれていく人々。子どもをかばうような姿で息絶える母親。亡くなった家族の前で呆然と立ちつくす人々。親しかった人たちの変わり果てた姿。遺体となった家族との再会。仮埋葬されていた遺体の中から父と弟の亡骸をみつけた15歳の少女が、冷たい雨がかからぬようにと弟の遺体に傘を差しだす絵には涙が出る(P.115)。

 図録部分はオールカラーで、全部で96名分121点の作品を収録。これで2,100円(税込)は格安だ。ひとりで何点かの作品を寄せいてる人の絵を順番に見ていくと、その人の空襲体験を時系列で追いかけていくことができる。空襲体験談はこれまでにもたくさん発表されているが、絵が入ることで臨場感は数十倍になっていると思う。「昔こういうことがあった」ということを知るためにも、できるだけ多くの人に手もとってもらいたい本だ。(どうせなら少部数でも英語版を作って、海外の図書館などに寄贈してはどうだろうか。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.09

ジブリマジック―鈴木敏夫の「創網力」

406212680Xジブリマジック―鈴木敏夫の「創網力」
梶山 寿子


Amazonで詳しく見る by G-Tools

 「映画道楽」はスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサー自身による本だったが、こちらは外部のジャーナリストという他者の目を介したジブリと鈴木プロデューサーについての本だ。この本が書かれたの2004年は、鈴木氏にとってジブリ以外のプロデュース作品である『イノセンス』が公開されているし、『ハウルの動く城』の製作も大詰めになっていた。そんな現場に密着して鈴木流のプロデュース術を実況しつつ、過去のできごとについても整理して語っていくとうい構成になっている。

 ただし著者が対象である鈴木氏に接近しすぎていて、鈴木氏のスポークスマンになっているような印象も受ける。取材を通して鈴木氏や彼の率いる「鈴木組」の人脈に惚れ込んでしまい、まるで自分自身も鈴木組の一員になったかのような錯覚を抱いてしまったのだろうか。すいすい読めてしまうのだが、それが逆にちょっと気になったりもする。

 まあ鈴木プロデューサーにしろジブリにしろ、世間の注目を浴びる割りにはその内情が外部に紹介されることもまれだったので、今の時点では勝手に広報活動を買って出てくれるスポークスマンがいるのも悪いことではないだろう。ジブリとうい得意なアニメーション・スタジオについての歴史的な評価は、10年後、20年後にまた別の人が行えばいいのかもしれない。とりあえず同時代の内部リポートとして、この本は重要なものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

映画道楽

4835615409映画道楽
鈴木 敏夫


Amazonで詳しく見る by G-Tools

 スタジオジブリのプロデューサー、鈴木敏夫さんが初めて書いた映画本。自分自身の映画体験、ジブリの歩み、プロデューサー業の中身、アニメーション映画の現在、映画の未来などについてざっくばらんに語っている。編集者のインタビューをもとに記事が作られているので、文章は語り口調でとても読みやすい。しかも文字が大きく紙も厚めときているから、半日もあれば読めてしまうはずだ。

 ジブリ作品最大のキーパーソンとも言える鈴木氏が、何を考えながら映画を作っているのか。普段は見えにくいプロデューサー業の中身が、本人の口から語られているのは面白い。しかし本人であるがゆえに、周囲の人たちを傷つけかねない微妙な部分については語れないだろう。楽屋裏話としては情報量不足。しかしその分、鈴木氏の「映画論」は面白く読める。時折ものすごく鋭い分析や批評があったりして、ハッと目を見開かれるような部分がいくつもあった。

 例えば小津安二郎の映画は現実の日常よりはるかにスローモーなことで独特のファンタジー世界を成立させていたが、最近の日本人は動作や喋り方がスローモーになって小津映画の世界に近づいてきたという指摘(P.180)。これは「え~、そうなのか?」と思うのだけれど、若いアニメーターたちと日常的に触れ合っている鈴木氏の発言だけに説得力がある。映画の中のヒーロー像について語る中で、山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』の主人公は昔なら渥美清が演じただろうという指摘(P.198)には「なるほどな~」と思った。ル・グィンの「ゲド戦記」を宮崎駿が映画化したがっていた話は有名だが、それには特に触れないまま、「ゲド戦記」の映画は作っても当たらないと断言するのも面白い(P.206)。たぶんジブリの内部では、一時期真剣に検討されていたのでしょうね……。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005.05.08

マルチメディア

4004303397マルチメディア
西垣 通


Amazonで詳しく見る by G-Tools

 1994年初版のこの本が、版を重ねながら未だに売れているというのがちょっと異様な気がする。この本にはインターネット以前に盛り上がった「マルチメディア・ブーム」の浮ついた雰囲気が、そのまま封じ込められている。そういう意味では貴重な歴史の証言だ。この本の中にはDVDが出てこない。そのかわりCD-Iという、今はまったく消えてしまったマルチメディア規格が登場したりする。ああ、時代の流れを感じるな~。

 90年代前半に盛り上がったマルチメディア熱というのは、結局なんだったのだろうか。それは要するに、CD-ROM付きのパソコンを売るときのキャッチフレーズに過ぎなかったのではないか。それまでテキストしか扱えなかったパソコンが、画像や音声を扱えるようになった。そのことを「マルチメディア」と言ってみせただけのように思えるのだ。

 今となっては内容も古くなっていて、マルチメディアにまつわる未来予想もまったく意味を失っている。著者のメディア論やテクノロジー論、コミュニケーション論なども、「昔はこういう言い方が流行していたよな~」という懐古趣味以上の感想を持てない。今となってはきわめて空虚な本であり、読む価値はほとんどないだろう。しかしこれを読むと、新しい技術や言葉が出てきたとき、識者や専門家と呼ばれる人がいかに浮ついて中身のない言葉をまき散らしているかという、よい見本にはなっていると思う。

 80年代はニューメディア、90年代はマルチメディア、2000年代はITとインターネットがキーワードだ。おそらくITもインターネットも、今から10年後には陳腐化するに違いない。しかし具体的なビジネスと一体化して進行しているインターネット普及は、10年前のマルチメディア・ブームよりはずっと地に足がついているようにも見える。

| | コメント (0) | トラックバック (0)