爆笑トリビア解体聖書―読んでびっくり!その真実
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「誰も教えてくれない聖書の読み方」が面白かったので、同じような趣旨の本だろうと期待していたのだが、これが大間違い。この本はタイトルとは異なり、「聖書」を批判しているのではなく、それを聖典とするキリスト教を非難しているのだ。しかしその非難の方法がちょっといただけない。著者は聖書についてはかなり読み込んでいるようで、最新の聖書学の成果などにも(読書傾向の偏りはあるようだが)一応の目配りをしている。ところが聖書をもとに批判しようとしている「キリスト教」については、てんで無知なのだ。
例えば『教会には十字架に磔になったイエスの偶像が祀(まつ)られ、ここかしこにマリア様の偶像あり、胸元にまでイエス様をかたどったロザリオが光る。はたまた、聖遺物(イエス様の遺品など)を拝む』(P.128)と書いてあるのだが、プロテスタントの教会に磔刑像はないのが普通だし、マリア像はまず絶対にない。カトリックの信者が持つロザリオは首にかけるのではなく、ロザリオケースに入れて持ち歩くのが普通だから、ロザリオが胸元に光るクリスチャンというのはかなり特殊な人ではないだろうか。
安息日を日曜日だとしているのも間違いで(P.130)、旧約聖書の律法で定められている安息日はもともと土曜日。ユダヤ教徒は今でも土曜日に休んでいるし、キリスト教の中でもセブンスデー・アドベンチストは土曜安息を守っている。カレンダーが日曜日始まりになっているのは、日曜日が1週間の最終日ではなく、週の最初の日だからだ。週の最終は土曜日。しかしこの本の著者は、そうしたことをまったく知らなかったらしい。
こうした著者の主張だから、「聖書はこう書いてあるのにキリスト教徒はそれを守っていない」という類の批判は、ほとんど著者の独断と偏見にもとづいた、イメージとしての「キリスト教」や「キリスト教徒」に向けられたもの。実際のキリスト教徒にとっては、それがどこの誰に向けられているのかまったくピンと来ないのではないだろうか。
聖書をありのままに読むならそれでいいのだが、ところどころで極めて古典的なキリスト教的解釈で本文を補っている場所もある。例えばルカ19章にある「ムナ」のたとえを批判する箇所(P.192)などはその典型だ。ここでも批判されているのは聖書本文ではなく、その「解釈」なのだ。
聖書を批判的に読んで矛盾や馬鹿馬鹿しい箇所を笑い飛ばそうという本なら、「誰も教えてくれない聖書の読み方」の方がずっと細かいところまで容赦なく揚げ足取りをしている。どうせお金を払って読むなら、そちらが100倍はおすすめできる。「爆笑トリビア解体聖書」はその足元にも及ばないと思う。
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コメント
はじめまして。
私もこの本『解体聖書』を読みましたが、私は、この本、とてもたのしく読ませてもらいました。
まぁ、読後感想は人それぞれですので、どういう感想を持ってもいいのですが、あなたの反論内容がひとつひとつ違和感を感じましたので、ちょっと筆を取りました(←古典的表現)。
まず、「安息日は日曜じゃない、土曜だ」とおっしゃっていますが、それって重要なことでしょうか? そんなことはどうでもよくて、この著者は「信者なら聖書に書いてあるとおりに安息日はメシも食うなよ」とツッコんでいるだけで、日曜か土曜かなんて本論と関係ないと思います。
土曜日だったら安息日を破ってもいいのでしょうか?
また、「プロテスタント教会には磔像はない」とおっしゃいますが、カトリック教会にはあるわけで、私も「あれ? あのページにプロテスタント教会だなんて限定して書いてあったかな?」と思って、読み直してみましたが、「プロテスタント教会には」なんてどこにも書いてありませんでしたよ?
著者は「磔像がない教会」について触れたのではなくて、「磔像がある教会」を批判しただけだと思います。
さらに「ロザリオは持ち歩くものだ」とおっしゃいますが、「持ち歩く」か「胸元に光る」か、これまた著者の主張には、それこそ何の関係もなくて、著者は「聖書を重んずるなら、偶像崇拝やめろよ」といいたいだけでしょ?
それとも、「持ち歩く」のなら「偶像崇拝してない」ことになるのでしょうか?
こう書きますと、私がやたら『解体聖書』側を擁護しているような感じになってしまいましたが、もちろん、私も、「この本が全面的に正しい」だなんて思っていません。「それは揚げ足だろ~」ってツッコみたくなるページも、ママありました。
でも、だいたいは、すなおに「その通りだよなぁ」と納得しながら読めましたよ。
あなたの言ってることが、どうひいき目に見ても、ひとつひとつ「揚げ足とり」にしか見えませんでしたので、思わず筆を取ってしまいました。
あなたはキリスト教に詳しい(?)ようですが、私はまったく詳しくありませんので、そのせいかもしれませんが。
投稿者: Kenichi (2005/05/15 0:41:05)
この本はまさに、あなたのような「キリスト教についてあまり知識がない日本人」に向けて書かれているのです。そこでは「キリスト教徒はこんなことを信じている」「クリスチャンは聖書に反したことをしている」と批判しても、誰も変だと思わないし、誰も反論しません。なぜならこの本が語りかけいてる読者は、キリスト教やキリスト教徒について何も知らないからです。
本当にキリスト教を批判したいなら、まずキリスト教について正しい知識を持った上で批判すべきでしょうね。聖書を読んだところで、キリスト教については何もわかりません。聖書のテキストとキリスト教の間にある深くて広い断絶に気づくことなく、聖書からキリスト教を批判するのは無意味です。
この本の著者は聖書についての知識をもとにして、「キリスト教」という権威に挑戦してみたかったのかもしれません。でもこの本に登場する「キリスト教」は現実のキリスト教ではなく、著者が頭の中で勝手に作り上げた虚像に過ぎないのです。
投稿者: 服部 (2005/05/16 23:27:14)
う~ん…
お言葉ですが、私の疑問には何ひとつ答えてもらってないような…。
この著者のいいたいのは「安息日は守れよ」「偶像崇拝するなよ」ということで、「安息日は土曜だ」「ロザリオは持ち歩くのだ」などと枝葉の誤謬をあげつらうことにあまり意味はないのでは?と疑問を呈したつもりだったのですが。
だいたいそもそも、すべての出版物の中で、一切の誤謬もない本など存在するはずもありません。だから、重箱の隅をつつくような枝葉の誤謬をあげつらうのは不毛なことで、著者の本旨を酌んでやることが大切だ、と私は思っています。
それとも、
>キリスト教を批判したいなら、まずキリスト教について正しい知識を持った上で批判すべき
とおっしゃいますが、キリスト教を研究しつくし、何ひとつ間違いのない知識を持った者でなければ「偶像崇拝すんなよ」と言う資格すらない、とでも言うのでしょうか?
それでは、「何ひとつ批判は許されない」と同義だと思います。
あなただって、映画批評家として、その批評する映画について、隅から隅まで何ひとつ知らないことがない状態にしてから批評文を書くのでしょうか?
違いますよね?
私は「安息日が日曜日」と著者がカン違いしていたとしても「安息日を守っていない=聖書の教えを守っていない」人たちが厳然と存在していて、そういう人たちに向けて「聖書に書かれた安息日くらい守れよ」と苦言を呈することになんの問題も感じません。
また、あなたは「この本の中のキリスト教徒は著者の頭の中で作り上げた虚像」と繰り返しおっしゃっていますが、これもそうは思えません。
私の周りにもクリスチャンと称する人はいますけど、安息日を守っている人なんてまったくいませんし、平気な顔で偶像崇拝している人たちばっかりです。この本で書かれているとおりの「キリスト教徒」像です。
「この著者の虚像」でもなんでもない、私の知っているクリスチャンたちそのものです。
だからこそ、私もこの本を読みながら、そういう人たちを思い浮かべて「その通りだよなぁ」と至極納得しながら読めたわけです。
この著者はそういう人たちに向けて発信しているのであって、あなたは「安息日を守っている人たちだっている」と反論なさっていますが、そもそもこの本はそういう人に向けて発信したものではないですし、そういう人たちの方がむしろ例外的な存在だと思います。
それが証拠に、「安息日を守っている人たち」の例としてあなたが挙げたのは、「ユダヤ教徒」や「セブンデーなんとか」という私なんかが聞いたこともないような宗派です。
そもそも、この著者は「ユダヤ教徒」については何ひとつ触れていませんから、「ユダヤ教徒」を反論材料にもってくるのは、やっぱり揚げ足と思います。
つまり、著者の対象としていない「ユダヤ教徒」や、私が聞いたこともない「セブン~なんとか」という特殊な宗派を出さなければならないほど、全体的に見て、キリスト教徒は安息日を守っていない、と吐露していることになります。
私はあなたと口論するつもりはありませんが、どうにもあなたの発言内容のひとつひとつが揚げ足とりにしか見えなくて、書き込みさせて頂きました。
不愉快に感じたなら申し訳ないです。
投稿者: Kenichi (2005/05/17 6:56:30)
この本のタイトルは「爆笑トリビア解体聖書―読んでびっくり!その真実」です。つまり「聖書」についての本でしょう。聖書とキリスト教は別物です。聖書を批判しても、それがキリスト教を批判することにはなりません。それがわからないのは、この本の著者も、Kenichiさんも、キリスト教というものがまったくわかっていないからです。
キリスト教徒は旧約聖書の律法規定を守りません。なぜなら、それは守れないようにできているからです。律法に比較的従順なユダヤ教徒ですら、今ではモーセの律法を守っていません。(律法は祭司たちによる神殿儀式を細々と定めていますが、神殿は1世紀に破壊されて今も再建されていませんし、祭司の一族も歴史から消えてしまいました。)では「もはや守れない神の命令」を、人間はどのように考えるべきでしょうか?
キリスト教徒は「正しさ」を求めません。キリスト教徒は自らを「罪人(つみびと)」と規定します。神の前に、正しい人はひとりもいないのです。律法はまるで守れず、善を求めながら悪を行う。それがキリスト教の人間観です。(こうして人間から決して離れない「罪」を、「原罪」と呼びます。)
しかし人間は「罪人」であっても救われます。それは神の子キリストが、自らをいけにえの小羊とすることで、人間たちの罪を贖った(帳消しにした)からです。律法を守らない罪人であっても、イエス・キリストの福音を信じれば救われます。些細な律法違反は言うに及ばず、人殺しでも強盗でも、その人が罪を悔い改め、イエス・キリストへの信仰を告白すれば救われるのです。(これを贖罪論と呼びます。)
キリスト教は「信者なら〇〇しなければならない」とか「××してはならない」とい決まりごとが一切ありません。(ただし宗派によっては戒律を持つところもある。)それゆえに、世界各地に膨大な数の信者を持つ宗教になったのです。
もちろん敬虔なユダヤ教徒だったイエス本人は、そんなこと一言も言ってませんよ。「聖書とキリスト教の断絶」とは、そういう意味です。
「キリスト教はパウロ教だ」という批判は、イエス本人が別の「キリスト教」を作っていたかのような言い方で、まったくの的外れです。キリスト教が誕生したのはイエスの死後であり、それにイエス本人はまったく関わっていません。キリスト教の中で自分が「神様」扱いされていることを知ったら、イエス本人はきっと大笑いするか怒りだすかのどちらかだと思います。
投稿者: 服部 (2005/05/17 11:00:33)
う~ん…
やはり今回も私の疑問そのものには何ひとつ答えてもらっていませんね…
残念です。
ちょっと整理してみましょう。
(1)はじめに、服部さんは、安息日やロザリオの例を挙げて「この著者はてんでキリスト教に無知だ」とおっしゃいました。
(2)それを読んで違和感を感じた私は、「それは単なる揚げ足で、この本の本旨からズレているんじゃないでしょうか?」と疑問を呈しました。
(3)すると、服部さんは、そのことには何ひとつ答えてくれずに、「キリスト教を批判したいなら、まずキリスト教について正しい知識を持った上で批判すべき」「この本の中のキリスト教徒は著者の頭の中で作り上げた虚像」だとの、先の主張を繰り返します。
(4)そこで、もう一度、私の疑問に答えてくれるよう促しつつ、(3)のふたつの主張について私なりの意見を提起させてもらいました。
(5)すると、またしても、服部さんは、私の疑問には一切答えてくれずに「そもそも信者は聖書をいっさい守らないし、守らなくても救われる」とおっしゃいます。
どうも議論が噛み合っていません。
どうして、服部さんは、私の疑問にちゃんと答えてくれないのでしょう?
まるでイエスが答えに窮したときによく使う詭弁に似ています。
(『解体聖書』p.260~263 参照)
今回(5)の服部さんの意見も、結局、結論として、何が言いたいのかイマイチわかりません。
服部さんは、今回、延々と「キリスト教徒は聖書をいっさい守らないのがアタリマエ」と断じていますが、「それがわかっていないから、著者は無知だ」とおっしゃりたいのでしょうか?
でも、それもおかしな論理で、たとえ「キリスト教は聖書をいっさい守らないのがアタリマエ」だったとしても、いや、それだからこそ、「いやいや、聖書が正しいというなら、聖書は守りなさいよ」と問題提起しただけの著者が、どうして「それがわかっていないから無知だ」となるのでしょうか? 意味がわかりません。
もしろ、著者はそれがわかっていたからこそ、問題提起したのではないでしょうか。
しかも、そこに至るまでの論法がちょっとひどい。
(1)まず、「タイトルが『解体聖書』なんだから」というヘンな理由で「この本は聖書についての本だ」と断言。
(2)そして、上を前提として、聖書を批判しても、キリスト教を批判することにはならない(のにこの本はそれをしている。)と主張。
(3)だから、著者は無知だ、との結論。
う~ん… 三段論法としても、これはひどすぎます。
まず、タイトルを理由に中味を断ずるのはひどすぎると思いませんか?
中味は中味を読んで判断するものでしょう?
それとも、服部さんは普段、中味を判断するのに、名前で判断しているのでしょうか?
名前など単なる記号にすぎません。
中味を「推量する材料」にはなっても「断ずる材料」にはなりません。
私は、名前などは参考にする程度で、ちゃんと中味を吟味するまでは中味の判断はしませんよ?
そして、この本の中味をちゃんと読めば、この本が服部さんの言うような「聖書を批判することで、キリスト教を批判した本」ではまったくない、ということがわかります。
まったく逆です。
「聖書を全面的に正しいという前提のもと、聖書を守らないキリスト教徒(キリスト教ではありません、キリスト教徒です)を批判した本」だとわかります。
つまり、服部さんの読書批評は、すべて、服部さんのこの誤解 ──
×「聖書を批判することで、キリスト教を批判した本」
○「聖書を全面的に正しいという前提のもと、聖書を守らないキリスト教徒を批判した本」
── から発せられているため、批評全体がピント外れなものになってしまっており、そこに私が違和感を感じたわけです。
服部さんが、キチンと私の疑問に直接反論をしてくれないので、議論がまったく噛み合わず、とてもとまどいましたが、ようやく、私と服部さんの間の大きなミゾの理由がわかってきました。
服部さんの主張内容には最後まで納得できませんでしたが(…というより、服部さんは、結局最後まで私の疑問に答えてくれませんでしたので、当然ですが)、私なりに、服部さんの(私から見て)ピント外れな批評の理由がわかりましたし、これ以上つづけると、議論が口論になっちゃって、おたがい不快になってしまいそうな予感があるので、このへんで失礼します。
(もう来ませんので、返事も要りません。)
今回の議論を通じて、終始強く感じたのは、服部さんには「論理性」というものが著しく欠けているような気がしたということです。それともヒッコミがつかなくなってしまって、シドロモドロになってしまった結果が、私の目にはそう映っただけでしょうか?
どうもお手数をかけました。
投稿者: Kenichi (2005/05/18 7:10:43)
キリスト教を信仰する人がキリスト教徒です。キリスト教を理解することなしに、キリスト教徒を理解することはできないはずです。キリスト教徒が聖書の教えを守っていないのは事実です。しかしそれは、キリスト教が「聖書の教えを守らなくてもよい」と教えているからです。
聖書の教えを守らないキリスト教徒を批判するのは、キリスト教の教えそのものを批判するのと同じことです。キリスト教なしにキリスト教徒は存在せず、キリスト教徒なしにキリスト教は存在しないからです。
しかしこの本の著者は、キリスト教についての正しい知識を持っていない。その端的な事例として、安息日の問題やロザリオの問題をあげておきました。揚げ足取りとおっしゃるならそれも結構。しかしそもそもキリスト教について常識的な知識があれば、こんな間違いをするはずがありません。揚げ足を取られるのは、キリスト教について無知だからです。
僕が何を言ってるかがわからないのは、Kenichiさんに理解するだけの知識が欠けているからでしょう。(理解しようという興味も関心もないようですが。)自分の無知や不勉強を棚に上げて、他人の説明の仕方のせいにするのは滑稽です。
投稿者: 服部 (2005/05/18 11:01:55)
「もう来ません」と言っておきながら、ふと覗いてしまいました。申し訳ない。
そしたら、服部さん、とても感情的になってしまっていました。申し訳ない。
「返事は要りません」って言ったのに、また論理性のない、おかしなことおっしゃるから、また書き込みしてしまいました。申し訳ない。
それにしても、服部さん、どうなさっちゃったんでしょう?
もうほとんど常軌を逸しています。
私が最初にお聞きいたしました疑問「安息日」や「ロザリオ」の件について、さんざ黙殺された挙句、やっと返事が返ってきたかと思ったら ──
>揚げ足取りとおっしゃるならそれも結構。
── ときました。
はれま。開き直りですか…。
反論でもなく、非を認めるでもなく、開き直り。
反論できないから、開き直りすることでゴマかそうとする。
すでに敗北宣言をしていることに等しい。でもそのことにすら気づかない。
もはや、あなたが「ディベート」というものを根底から理解できていないことがよくわかります。「口げんか」と「ディベート」の区別もつかない。
もっとも、私もそれにうすうす気づき始めたからこそ、このような事態になることを避けようと「返事は結構です」と釘を刺して差しあげましたのに。
変に虚勢はって「イタチのスカシッペ」なんかしようとするからハジの上塗りをすることになっちゃいます。
そして、継いだ言葉が、
>揚げ足を取られるのは、キリスト教について無知だからです。
もう、ここまでくると、哀れで哀れで、哀愁すら漂います。
そもそも「揚げ足」というのは、取られる方が悪いのではなく、取る方が悪い。
あなたの耳にはもう、こんな常識すら届かないのでしょうか?
もはや、幼稚園児の「おまえのか~ちゃん、で~べ~そ~」状態です。
あなたは「プロの批評家」だそうですね?
もし、あなたのおっしゃるとおり、「揚げ足をとられる方が悪い!」のなら、あなたの批評文について、小さな小さな、重箱の隅をつつくような、くだらない、しかも批評文の本旨と何の関係もない「揚げ足とり」を次から次へとされても、「そんな揚げ足とりをされるような服部さんが全面的に悪い!」ということになってしまいますが、それでいいんですね?
また、「私のようなキリスト教知識の疎い者にイタいとこツッコまれて、なんら反論できず、開き直るあなたこそ、私以上にキリスト教に無知だからだ」となってしまいますが、それでいいんですね?
ね? ドツボでしょう?
自分で自分の首を絞めるような発言を平気でしてしまっている。
追いつめられて、行き詰まって、最後は情緒不安定になってしまったのでしょうか?
もはや、「口げんか」と「ディベート」の区別すら付かなくなっている服部さんに、何をいっても、その耳に届きそうもありませんし、「弱い者イジメ」の観を呈しそうですので、これ以上はやめておきますが、その他の部分の発言も、言ってることがイチイチ非論理的なんですよ?(たぶん気づいてないんでしょうね)
どうしても、ということであれば、徹底的に論破して差し上げますが、まぁ、このような不特定多数の目が届くところで、これ以上、服部さんにハジかかせちゃうのもなんですし、やめておきます。
それでは。
投稿者: Kenichi (2005/05/20 17:36:06)
ブログのコメント欄で「ディベート」などと口走るのが、
そもそも場違いな一人相撲だと気づかないのは哀れです。
発言のTPOを学ぶべきでしょうね。困ったもんです。
投稿者: 服部 (2005/05/23 16:13:41)
そ…それが…?
ひょっとして、それが「反論」…なんでしょうか?
今回もまた、いつもと同じように、何ひとつ、まったく何ひとつとして反論できず、グゥの音も出なくなった最後の断末魔の「反論」がそれですか???
グゥの音も出なくなって、3日間、考えに考えあぐねた結果、思いついた反論がこれ…ですか???
それじゃ、ホントに「おまえのか~ちゃん、で~べ~そ~」そのままじゃないの…。
もう、発言するたびに自分の知能の低さを公表しているようなものですが、それすらもわからないほどのバカなのですか?
イタタタ… あまりにもイタすぎる…
すげぇ… それにしてもすげぇ…
何度読み返してみてもすげぇ…
じゃあ、ここはTPO的に言って「口げんか」の場だったんですね?
服部さんがここまでオツムのお弱い方だったとは…
こんな知能の低い人間が「プロの批評家」を張ってるとは…
いや、もちろん、気が付かなかったわけじゃない、うすうす感づいてはいたんですが、その強烈な現実をまざまざと突きつけられて、ちょっと驚いています。
いやはや、カンプクいたしました。
世の中には、知識だけは多いもんだから、それが自分自身「見識がある」と勘違いしてしまっているバカはじつに多いものです。
「知識の量」と「洞察眼」とは何の関係もない、ということすら理解できずに。
でも、所詮、バカの哀しさ、どんなに知識を蓄積したところで、肝心の洞察眼が皆無なので、こっちが辟易とさせられる。
しかも、そういうヤツは、なまじ知識がある分、プライドだけはあったりするもんだから、始末に負えない。
知識のあるバカより、無知なバカの方がよっぽどかわいげあるというものです。
こういう輩は、じつのところ、周りから心底バカにされ切ってるんだけど、本人だけが(頭が悪すぎて)まったく気づいてないピエロなんだよね~(気づく知能すらない)。
そういうクズを何人も見てきましたよ、私は。
みんながそういうやつのバカさ加減を周りでクスクス嗤ってるんだけど、本人だけがまったく気づいてないんだよね。
それをハタから見ていて、もう憐れで憐れで…。
服部さんもその手の方でしたか。
あなたが、その手の輩だ、ということが、歴然と判明した以上、もはや言うことはありません。
これを読んだすべての人があなたの無教養を嗤うだけです。知らぬはあなたばかりなり…
服部さんは、これからもずっと、陰でそのバカさ加減を周りの人間からクスクスクスクス嗤われつづける人生を歩むんですね。自分ひとりだけがそれに気づかずに。
…ヒ…ヒサン…。
ある日ある時、その現実に気づいたとき、ショックで自殺するんじゃない?
さすがにちょっと同情…
よかった、バカじゃなくて。
(今回はちょっと攻撃的な内容にいたしました。だって、バカが「ここはTPO的に口げんかの場だ」ってゆぅもんですから)
PS
真剣にご助言して差し上げますと、服部さんは「批評家」には向いてないと思いますよ。もっとも縁遠い職業だと言えます。理由はおわかりですよね?
頭が悪すぎるからです。
自分がバカだと自覚できるバカならまだ救いがあるんですが、服部さんのように、まったく気づいていないバカだと、それもムリか…。聞く耳もたんもんね。
投稿者: Kenichi (2005/05/23 22:15:42)
なにか勘違いしておられるようですが、僕はブログのコメント欄を毎日チェックしているわけではありません。Kenichiさんのコメントには今日はじめて気がつきました。「もう来ません」と書いた人が、そのあともノコノコやってくるとは思いませんしね。
自分の書いたコメントを相手が熱心に読んでいるに違いないと考える、Kenichiさんの根拠のない自信はどこから来るのでしょうね。僕も含めて、誰もあなたのコメントなど真面目に読んでいませんよ。だいたいこのブログの読者はほとんどいませんしね。(Kenichiさんは貴重な読者のひとりです。)
寂しくて誰かに相手をしてほしいのなら、別の人を探した方がいいと思いますが、まあ僕は来る人拒まずがポリシーですので、今後も暇つぶしがてらお相手するご用意はあります。コメントを続けるもやめるも、どうぞご自由に。
投稿者: 服部 (2005/05/23 22:45:03)
やはり聞く耳もたんか。そりゃそうだわな。
そこまで知能が低けりゃね。
もはや論理ではかなわぬと悟り、「おまえのか~ちゃん、で~べ~そ~」路線を決め込んだか。
>「もう来ません」と書いた人が、そのあともノコノコやってくるとは思いませんしね。
へぇ?
頭が悪いヤツってのは、ノコノコやってくるとは思っていない相手に返事するものなのか?
じゃあ、いったい誰に向けての書き込みのつもりだ?
おぉ? 答えてみろ?
ほ~ら、バカは発言するたんびにボロを出す。
どうしてそんなに頭が悪いのか。
頭が悪いなら悪いなりに、もう少し、考えてから発言したらどうだ?
いやはや、あなたほど、発言するたび発言するたび、おのれの知能の低さを露呈する人もめずらしい。いや、だんだん回が進むたびにひどくなってるぞ?
私もいろいろなバカ(周りから軽蔑されまくっていたバカ、冷笑されつづけていたバカ、とかね)を見てきたけど、あなたほどの徹底されたバカは初めてかもしれない。
でも、だんだんたのしくなってきましたよ。
つぎに、どんな奇想天外なオマヌケ発言でボロ出すか、ね。
>僕も含めて、誰もあなたのコメントなど真面目に読んでいませんよ。
自分のブログへのコメントを「真面目に読んでいない」と言い切る、その無責任さはどこからくるんでしょうね?
それも、ここのブログを観に来ているすべての人をモロ冒涜していることになるが、頭が悪すぎて、そんなことも理解できないときたか。
まぁ、これも「おまえのか~ちゃん、で~べ~そ~」レベルの見苦しい言い逃れに過ぎないんだけどね。
んで?
>だいたいこのブログの読者はほとんどいませんしね。
わはははははは!
爆笑モノだよ、これ。
そうか、やっぱりそうか!
いやいや、あなたのような頭のお悪い人の批評文をまじめに読む人が世の中にはいるのか?と、ず~っと不思議だったんだよ。
不思議で不思議でしょうがなかった。
ただ「プロ」みたいだから、それでもそういう物好きはいるのか?と疑念が拭えずにいたんだが、いやはや、目の前の霧が晴れるようだよ。
そうか、そうか、やっぱりおまえさん、誰からも相手にされてなかったか。
そりゃそうだわな。
あんた、自分の頭の悪さ、自覚しなよ。
自覚から始まるよ、すべては。
だ~れも見に来ないのは、あんさんのバカさ加減がコメントの端々に現れてて、読めたモンじゃないからだよ。
みんな、あんたの頭の悪さに辟易して、無視して、白眼視して、冷笑しているのに、俺みたいな物好きが、まじめにコメントしてあげたんだ、喜べよ。
ま、あんたがここまで知能が低いやつだと最初からわかっていれば、コメントなんざしなかったけどな。あんまり偉そうなこと書いてやがるもんだから、もう少し「人」として、まともな議論ができるかと思ってな。まさか、「人間レベル」にすら達していない低能だとは想定外だったよ。
いや、待てよ?
ただの低能ならまだしも、まさか、キ○ガイじゃないよね?
せめて、ただのバカだよね?
いや…でも…、キチ○イを疑いたくなるほど、あんたの発言、ひどすぎるよ?
>今後も暇つぶしがてらお相手するご用意はあります。コメントを続けるもやめるも、どうぞご自由に。
そぉ?
じゃあ、もう少し相手してもらおうか?
あまりにも頭悪すぎる発言が、逆に、たのしくなってきたよ。
つぎはどんな自爆ボケかましてくれるかな♪
投稿者: Kenichi (2005/05/24 1:28:50)
相変わらず虚しく寂しい一人相撲が続いているようですが、その滑稽な振る舞いには涙を禁じ得ません。当ブログのコメント欄でKenichiさんの孤独が癒されるのなら、どうぞ今後もご存分にご利用ください。
投稿者: 服部 (2005/05/24 9:32:46)
今回もやっぱり何ひとつ反論できず…か。
>僕は来る人拒まずがポリシーですので、お相手するご用意はあります。
といいながら
>虚しく寂しい一人相撲が続いている
と、相手にしてないようなコメント。
相手するんちゃうんかい?
こんな短い書き込みの中にもバカ丸出し。
結局、最初から最後まで、私の主張には何ひとつとして反論できませんでしたねぇ。
自分で自分を冷静に判断して、己のバカさ加減を理解できないものなのかね? そこがバカの哀しさか…。ツライね。…あ、ツライ状態かどうかも理解する知能がないからツラくはないのか。
なるほど、ある意味、幸せ者か。
投稿者: Kenichi (2005/05/24 10:37:34)
イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。
無知な者は怒ってたちまち知れ渡る。思慮深い人は、軽蔑されても隠している。12:16
思慮深い人は知識を隠す。愚かな心はその無知を言いふらす。12:23
知恵ある人が無知な者と裁きの座で対すると/無知な者は怒り、嘲笑い、静まることがない。29:9
愚か者は自分の感情をさらけ出す。知恵ある人はそれを制し静める。29:11
愚か者の耳に語りかけるな/あなたの見識ある言葉を侮るだけだから。23:9
争いにかかわらないのは立派なことだ。無知な者は皆、争いを引き起こす。20:3
投稿者: 服部 (2005/05/24 11:06:25)