何が映画を走らせるのか?
エジソン、リュミエール、メリエスから始まる映画110年の歴史を俯瞰しつつ、その歴史のひだに分け入り、細部をクローズアップしていく映画史エッセイ。もともと月刊誌に読みきり連載していた原稿を集めているので、ひとつひとつの記事は比較的短め。映画マニアや研究者向けではなく一般向けの読み物なので、解説もじつに丁寧で読みやすい。長期の雑誌連載をまとめていることから記事に一部重複もあるのだが、それが著者の好みを反映しているようで楽しい。その時々の時事的テーマを扱っていることから、いささか古びてしまった話題もなくはないのだが、それはそれで記事を書いている時の「今」が見えるという意味で悪くはない。
著者が映画や映画史についての直接持論を述べるというのではなく、他の資料(伝記・自伝・インタビュー・評論など)からの引用を活用しながら、テーマになった事柄を解説していくというスタイルが多い。しかしテーマは著者が選んでいるのだし、引用している資料も著者が準備しているのだから、これは引用の形を借りて、やっぱり著者なりの意見を述べているのだけれど……。著者のインタビュー集「映画とは何か」からの引用も多い。
原稿は大まかに雑誌掲載順に掲載されているのだが、取り上げている話題によって少しずつ前後している。しかし巻末に「映画は女で作られる」という記事が掲載されているのは、かなり意図的なものだろう。スクリーンに登場する女性の「美」について語ってきたこの記事の締めくくり部分に、こんな文章がある。
いまはもうスターの時代ではなく、女優もスタートしてよりは普通の人間として生きたいという時代だから、「美しい」などという陳腐で大げさな紋切り型の表現でスターを崇め、美女を礼賛すること自体が反動的ともみなされたねないものの、それは、とりもなおさず、情熱につきものの不合理性(狂気と言ってもいい)があられもなく映画を輝かせていた時代も終わったということなのかもしれない。
映画史の中では消えてしまったジャンルや消えてしまった表現というのが多いのだが、じつはスター女優をスクリーンの中で現実離れした美しさに輝かせるという伝統も消えてしまったのだ。ディートリッヒやグレース・ケリーのようなスクリーンの美女が、映画に登場することは二度とないのかもしれない。
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