« ユングとオカルト | トップページ | グーグル八分とは何か »

2006.12.29

聖書翻訳の歴史と現代訳

4872070895聖書翻訳の歴史と現代訳
尾山 令仁
暁書房 1989-09

by G-Tools

 現代日本人が解説なしに読める旧新約聖書として「現代訳」を翻訳出版した著者が、聖書翻訳の歴史をひもときながら、現代訳の必要性と意義を述べた本。現代訳聖書(第9版)は@niftyの聖書フォーラムでボランティアによって電子データ化され、現在同フォーラムのホームページからダウンロードして読むことが出来る。(@niftyのIDがあればダウンロード可能。)僕はこの敷衍訳がどうにも好きになれないのだが、今回はこうした翻訳がどのような考えによってなされたものなのかを知りたくてこの本を読んだ次第。

 本書は3つの部分に分かれていて、第1部は古代から現代までの聖書翻訳について解説した部分。第2部は聖書の記述がなぜ現代人にとってわかりにくいのかを、ユダヤ的表現とギリシャ的表現の違いという切り口から解説したもの。第3部はそうした聖書の特徴をふまえて、現代訳聖書が聖書本文をいかに訳しているかという実例を示している。この中で役に立つのは第1部で、聖書翻訳の歴史をざっくりと紹介した部分ぐらい。

 第2部に出てくるユダヤ的表現とギリシャ的表現という説明は、僕にはまったくピンと来なかった。聖書の記述に比喩や象徴が多用されていることや、古代人の比喩表現が現代人のそれと違っているのは当たり前のことで、それをわざわざ「ユダヤ的」だの「ギリシャ的」だの呼ぶ必要も必然もないのではなかろうか。こうした説明は、聖書の釈義を自分にとって都合のいい方向に持って行くには便利そうだ。聖書のある部分は「ユダヤ的表現」なのでそのまま文字通りに受け取るべきではなく、聖書の別の部分は「ギリシャ的表現」なので歴史的事実である……と勝手に振り分けられる。しかしそれは、表現がユダヤ的だから、ギリシャ的だからそのように分けているのか、それとも象徴的に理解したい部分にはユダヤ的表現のレッテルを貼り、歴史的事実だと考えたい部分にはギリシャ的表現のレッテルを貼ることとどう違うんだ? 僕はこうした聖書解釈に、なにかしらインチキくさいものを感じる。

 第3部では他の翻訳と比べながら現代訳聖書のわかりやすさを論じているのだが、わかりやすくするためにかなり聖書本文の「解釈」にまで踏み込んでしまっている部分が多いのは一目瞭然。また聖書本文にもともとない言葉を補って現代人にとって読みやすいものにするという手法には、僕は大きな違和感を持ってしまう。例えば最後の晩餐で当時のユダヤの習慣を説明するために、「当時」とか「この当時は」などと言葉を補うのは、福音書自体がその説明を必要としない時代に成立していたことから考えて明らかに不自然なのだ。こうした解説的文言は、聖書本文ではなく、欄外に解説として記述しておく方がよほどスマートなのではないだろうか。あるいは一般の翻訳書のように、「訳注」として括弧に入れて区別するべきだと思うけどな。

|

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/4474/13248170

この記事へのトラックバック一覧です: 聖書翻訳の歴史と現代訳:

コメント

コメントを書く