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現在WordPressとココログで日記を並行して掲載していますが、同じ記事を2度アップロードするのが面倒なので、8月からはWordPressに一本化します。ブックマークしている読者は、新しいサイトにURLを変更しておいてください。
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働いている自動車ディーラーの社長令嬢と10日後に結婚する主人公は、同僚たちと独身最後のバカ騒ぎをした帰りに車で人をはねてしまう。とっさに逃げてしまったが、この事故には目撃者がいた……。
主人公たちは誰も悪人ではない。だが、誰も正しい人間ではない。黒と白の間のグレーの領域を漂いながら、それでも真面目に、誠実に生きようとしてきた人たちが、ひとつの交通事故で結びつけられる。事故の一件を使って主人公を脅迫しようとする人もいなければ、死んだ男のために血の復讐をしようとする者もいない。そうしたものを出さないところにこの映画のリアリズムがあるのだが、しかしそれはわかりやすいサスペンスを否定するということでもある。
『人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか』(マタイ16:26)。このテーマの映画は山ほどあるのだが、この映画もそんな作品の中の1本。しかし結末はちょっと意外なものだった。
(原題:Trois mondes)
新潮社主催の「女の女のためのR-18文学賞」で受賞の最終候補になったという雛倉さりえの同名短編小説を、思春期の女の子描写には定評のある金子修介監督が映画化。
主演の花井瑠美と大谷澪はどちらも映画初出演に近くて演技は拙い。台詞のすきまからキャラクターの感情が見えない、ぼんやりとした語りだ。しかしその演技のぎこちなさや頼りなささえも、思春期の少女の恋愛に対するぎこちなさや、存在の頼りなさなどに重ね合わせていくため、ここでは演技が拙いことがマイナスになっていない。この手は何度も使えるわけではないのだが、少なくともこの映画ではうまくツボにはまって抜群の効果を生み出している。
彼女たちが周囲に溶け込めない、浮いた存在であること自体が、この映画においてはひとつの財産なのだ。
アンジェリーナ・ジョリーの初監督作で、脚本と製作も彼女自身が行っている。ボスニア紛争直前に出会って恋に落ちたセルビア人の青年警官とムスリム人の女性画家が、戦時中に再会したことで起きる悲劇。再会しなくても戦争は悲劇なのだが、再会したことで彼らの人間関係はずたずたにひき裂かれてしまう。いや、再会しなくてもどのみち人間関係は破壊し尽くされてしまうのかもしれないが……。ボスニア紛争についての映画は何本も作られ公開されているため、僕はそのたびにWikipediaなどで紛争の概略を調べ直す。でも何度調べても、やっぱりよくわからない。これは一度、ちゃんと本を読んで勉強した方がよさそうだな。アンジェリーナ・ジョリーはこの映画で、紛争の中で起きた女性に対する性暴力を大きくクローズアップしている。20世紀の終わりになって、こんなことが平気でまかり通っていたことに驚くしかないのだが、戦争というのはそもそもがそういうものなのかもしれない。
(原題:In the Land of Blood and Honey)
劇団ポツドールの同名舞台作品を、原作者である三浦大輔本人が脚色した辛辣なラブコメディ。コメディ……なのだろうか。たぶんコメディ……なんだろうな。導入部で登場人物全員を狭い部屋に集めてしまうのだが、その後はドロドロの愛欲模様。こうした群像劇ではたいてい誰かひとりぐらいは「この人が好きだ」とか「この人は俺に似ている」という人物がいるものなのだが、僕は登場人物たちの誰も好きになれないし、誰にも感情移入できない。しかし出てくるエピソードにはいちいち「こういうことって、あるよなぁ」とうなずいてしまう困った状態になってしまった。映画を観ていてとても不快だ。激しく不快感を覚える。それは出てくる不愉快なエピソードの多くに、自分なりに心当たりがあるからかもしれない。登場人物たちの多くが破滅的な結末を迎える中で、映画の最初にカップルになったブス女(失礼な言い方だが映画の中でそういう役なのだ)と冴えない男は、何となく今後もうまく続いていくんじゃないだろうか。割れ鍋に綴じ蓋。まあ、男女の仲なんてそんなもんだよな。
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