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2004.02.28

日記|映画瓦版のトップページ改造

 この週末はとにかく忙しい。午前中から映画の感想をばしばし書いて、それが夜もだいぶ遅くなってから終わる。これで連載の原稿は間に合うのか? 間に合わせねばなるまい! 明日はラジオ出演もあるのだが、それは大丈夫か? 大丈夫だと思わねば、今夜は眠れなくなってしまうではないか! 確定申告はどうする? それは……。どうしよう。

 夕方ぐらいからとうとう「映画瓦版」のトップページの改造に取りかかった。余計なタグをはずしながら、それに相当するスタイルシートを作っていく。なんだかいろいろと入れ子になっていてややこしいぞ。最終的に何とか形にはなったけど、本当はもっとシンプルな方法があるんだろうなぁ……。デザインを再現するために、余計なクラス属性を作りすぎたような気もする。1ヶ所を直して別の場所に影響が出ると、「え~い、クラス名を変えてしまえ!」と属性が増えていく。まぁこれは第1弾ということで、将来はまた別の形にするかもしれない。そのためのスタイルシートだしね。ただ僕はIE環境で作っているので、他の環境で同じように見えているかはちょっと不安もあるけど。

 これだけ苦労しても、見た目はほとんど変わらないのだから、労力ばかりの作業だなぁ。自己満足とも言う。仕事が山のようにあって寝る間がないなどと浮き足立っているのに、こうした「余計な仕事」に寄り道するのは、僕の気持ちが仕事から逃げているからなのだ。あ~、仕事やりたくない。目の前の仕事から逃避したい。でもやらなきゃ。ああ……。

■追記(2/29未明)
 「映画瓦版」のトップページをNetscapeで見てみたけど、何やらとんでもないことになってますなぁ……。どうも回り込みを使ったところで、おかしなことになっているようだ。トップページを差し替える前に確認しておくべきだった。もはや後の祭り。とりあえずこのままでもリンクは生きているようなので、改造はまた後日とういことで。(NNでページをご覧になっている方々には申し訳ないことです。)

■さらに追記(2/29昼過ぎ)
 Mozillaもダウンロードしてみたけど、やはりレイアウトが崩れてしまう。僕は普段Donut PとIEを使っているのですが、Mac環境などだとどう見えるんだろうか。すごく不安が……。仮に正常に表示されないユーザーが1~2%だとしても、映画瓦版は読者数が多いから、毎日数十人が「なんじゃこりゃ!」という目に遭っていることになる。ちなみにココログもタイトル部分の広告挿入が悪さをしているようで、表示が崩れております。IEを使っているとまったく気づかないんですけどね。

09:56 午後 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

5年前のCDを誰が買う?

邦楽CD逆輸入 禁止期間5年に 文化庁方針 Sankei Web

 アジアなど海外でライセンス生産された邦楽CDが、逆輸入され、日本で格安販売されることを防ぐための著作権法改正案に関し、文化庁は25日、輸入禁止期間を5年とする方針を固めた。

 発売から5年もたったCDなんて、ほとんど消費者ニーズがないと思う。例えば今から5年以上前(1998年以前)の年間CD売り上げランキングを見てみればいい。こうしたCDを今から買う人が、いったいどれだけいることか……。(参考「年間CDランキング」

 日本の映画ファンの中には、わけ知り顔で「海外に比べて日本の映画料金は高すぎる」と言う人がいる。まぁそれはそうでしょう。単純に為替換算すればそういうことになる。でも高いのは映画料金だけじゃない。日本は何もかもが、すべて高いのです。デフレだ何だと言ったところで、日本の物価水準は今でも世界一の高コストなのだ。

10:49 午前 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

2004.02.27

日記|週末に試写3本は疲れる

 午前中に映画の感想を何本か書いて、午後は試写を3本。部屋を出た時間が少し遅かったので、駅から走っちゃったよ。もうこれだけで疲れてしまった。まぁ自業自得だけどな。

 1本目はメディアボックスで『ハナのアフガンノート』。父がイランの巨匠監督モフセン・マフマルバフ、姉が新進気鋭の女性監督サミラ・マフマルバフという映画一家に育ったハナ・マフマルバフが、姉サミラがアフガニスタンで撮った新作『午後の五時』の準備について回って、オーディションやカメラテストの様子を取材したドキュメンタリー映画。之を観ているうちに、「これで映画が完成するのかよ」と、ひどく心配になってくる。町でこれはと思う人をスカウトしてカメラテストをしても、みんながみんな「映画になんか出られない」と断ったり、「出たいのはやまやまだけど……」などとみんなが渋い顔をするのだ。

 サミラがなだめたりすかしたりしながら、出演候補者を説得しようとするのだが、この強引さがものすごい。このぐらい強引でないと、映画監督なんて勤まらないのだろうなぁと思う。これがまぁ、ものすごく面白いの何のって。

 で、サミラの映画『午後の五時』をその直後に同じ試写室で観たんだけど、これは『ハナのアフガンノート』の生々しい面白さに比べると、ちょっと新鮮味がないかも。まぁこちらはフィクションで、『ハナの~』はドキュメンタリーだから単純な比較はできないわけだけど……。

 食事をしてから新橋まで歩き、TCCで『タカダワタル的』の試写。フォーク歌手・高田渡の活動を追うドキュメンタリー映画。上映時間も短いし、これは音楽の面白さでとりあえず1本の映画になっている作品だと思う。

 今週は疲れた。火曜日から連日2~3本の映画を観ている。今週末はコラムの締め切りが2本重なっていることに加えて、毎週レギュラーのクイズもあり、メルマガもあるという締め切りラッシュ。まぁ月末だからこれは仕方ない。之に加えて、FM東京の「筧利夫の STAND BY ME が聴こえてくる」という番組にもゲスト出演することになった。日曜日午後5時からの放送で、アカデミー賞について予想コメントをすることになるはず。

 帰宅して映画評の準備をしたらもうくたくた。

10:47 午後 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

2004.02.26

日記|デザイン改善は続く

 午前中に映画の感想を何本か書いて、ホームページを更新してみた。個々のページの更新はこれまでとそれほど手間が変わらないのだが、そこからトップページの目次部分を作るのが面倒くさくなっている。映画評ページにある余計なタグがジャマになって、いちいちそれを付け替えなければならないのだ。とりあえずこれは少し改良してみたが、泥縄式の改善に過ぎない。これはやはり、トップページも抜本的な改善をしなければならないだろう。タイトル下のデータと2行のキャッチを、そのままコピーしてトップページに張り込めるようにしたい。これはトップページでも何らかのスタイルシートを用意して、個別のページからのデータを引き継げるようにする必要があるだろう。

 午後は試写を3本。まずは東映で『恋人はスナイパー《劇場版》』。これはまるでダメな映画だと思う。ちょっとひどい。2本目は東宝に移動してマノエル・ド・オリヴェイラ監督の新作『永遠の語らい』(アルシネテラン配給)。これはなかなか面白かった。監督なりの9・11に対する思いであり、東西文明論なのだろう。最後はちょっと衝撃的だった。

 食事は泰明小学校前のらんぷ亭で牛丼。もう大型チェーンで牛丼を出しているのはここだけだ。そのせいか、ここは最近客が増えている。

 6時から映画美学校で中国映画『思い出の夏』(参考)。映画ファンなら泣いて喜ぶ「映画についての映画」のひとつ。やはり感動してしまう。

09:38 午後 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

2004.02.25

日記|映画瓦版の再修正

 午前中は少し寝坊したが、映画瓦版のレイアウトを再修正したり、ココログの記事を投稿したりして過ごす。午後の試写はどうしようか迷ったが、とりあえず1時に映画美学校でスティーブン・セガール主演の『沈黙の標的』(配給GAGA)からスタート。この映画、もうメチャクチャでした。セガール扮する考古学者は、助手を殺され、妻を殺されても、顔の表情がまったく変化しない。以前から感情表現の苦手な俳優だったけれど、最近は「苦手」を通り越して、もはや感情表現の芝居を「拒否」しているようにさえ見える。

 2本目は渋谷に移動してドキュメンタリー映画『あしがらさん』。新宿で路上生活していたホームレスを追った記録だが、これはよかった。最後にホロリとさせる。ホームレスの支援という社会的な問題から入り込み、最後はひとりの孤独な老人と青年の交流のドラマとして終わる。そこから再度カメラは路上に戻るのだが、観客の気持ちがそれに付いていかないところがこの映画の弱点かもしれない。

 近くの書店で「詳解HTML&XHTML&CSS辞典 with CD-ROM」を購入。夕食に「すき家」の豚丼を食べてみたが、やはり牛丼よりはだいぶ魅力が薄いなぁと思う。

 帰宅してから本を参考に「映画瓦版」のスタイルシートやHTMLファイルを少しいじくり回す。やはり画面下部の広告やアフィリエイトのレイアウトがうまく行かず、これはひとつだけテーブルを作って要素を全部放り込むことにした。しかしテーブルを細かく区切らなくても、それなりのものができるのは面白い。これでHTMLファイルがずいぶんとスッキリした。

 ただしこれが更新しやすいかどうかはまだ不明だ。

09:20 午後 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

誰もが自衛隊員の死を待っている

どっちが思考停止なのか? 黄色いハンカチへの「違和感」をめぐって : kojidoiのチャンネル -北国tv

 上記ブログで僕の書いた記事が『下衆の勘ぐり』と言われているので、この点について少し補足しておく。

 小泉首相は「自衛隊の派遣地域は非戦闘地域で安全だ」と言い続けてきたが、それが真っ赤な嘘だということは国民すべてが知っている。野党は小泉首相の詭弁をずっと批判し続けているが、結局政府は自衛隊をイラクに送ってしまった。これでイラクの自衛隊員が犠牲になれば、野党側は「それ見たことか」と小躍りするに決まっている。自分たちの主張の正しさが証明されるのだから、これは当然の話でしょう。

 もちろん今や共産党ですら自衛隊の存在に異議をはさまなくなってしまったわけだから、野党の皆さんとて自衛隊員の犠牲そのものを悼みはするでしょう。でもそれと「政治的なチャンス到来」という気持ちは、まったく別なのです。野党は自衛隊員がイラクで殺されるのを、今か今かと待ってます。

 しかしそれとはまったく別の思惑から、自衛隊がイラクで犠牲になるのを待ちかまえている人たちが、自衛隊派遣に賛成した人たちの中にもいることは間違いない。彼らは自衛隊から犠牲者が出ればすぐにでも、「この尊い死を犠牲にしてはならない」と言い出すに決まっている。現に日本の外交官がイラクで殺された段階で、そうしたことを言う人がいたしね。

 日本は海外から「金は出すが汗は流さない」と言われるのが嫌で、今回の自衛隊派遣を強行した。とりあえず自衛隊は行ったから「汗」は流している。このうえ「血」まで流せるなら万々歳でしょう。これでようやく日本も「普通の国」の仲間入り。日本は海外(要するにアメリカだろうけど)に向けて、「日本も立派に国際貢献してます」と胸を張って言える立場になる。

 要するに今回のイラク派遣で自衛隊員が死んでくれるのを、政治家たちの一部は立場の違いを超えて待ちこがれているのだ。自衛隊員の中からなにがしかの犠牲が出るのは、既に野党も与党も織り込み済み。今は「その時」が「いつ」になるかで、各政党がやきもきしているんじゃないかな。今年は大きな選挙もあるしね。

 こういう政治の空気をもっとも肌で感じているのは、イラクに派遣される自衛隊員たち本人ではないだろうか。その家族や友人たちも同じだろう。自分自身が、自分の夫が、父が、息子が、友人が、政治の力によって「死ぬことを期待されている」のです。こうした政治の風向きに対するせめてもの抵抗が、「死ぬな」「生きて帰ってこい」という「黄色いハンカチ運動」なんじゃないのかな。自衛隊と身近に接している北海道でこの運動が始まったというところに、僕はこの運動の根っこにある「愛する者に対する気持ち」のリアリティを感じる。

 ちなみに自衛隊員は殉職すると靖国神社に祀られる。イラクで自衛官の犠牲が出れば、靖国神社が大好きな小泉首相は参拝の口実が増えて大喜びかもしれないけどね……。これが本当の下衆の勘ぐり。

11:19 午前 | 固定リンク | コメント(6) | トラックバック

2004.02.24

日記|「映画瓦版」にもスタイルシート

 午前中はココログにcocohore!やcocodoko?を設置したり、パイポリーダーを付けてみたりする。でもパイポリーダーは、どこがどう便利なのかよくわからない。その後、CLIEから手帳にスケジュールを転記する作業をすすめる。CLIEには試写スケジュールだけでなく、映画の公開日や劇場まで記入していたので、それが手帳で省かれてしまうのはちょっと不便。変更修正が楽なのもデジタルのメリットだけど、紙の手帳のような「物理的スペース」に制約されないのもデジタルの良さだったんだけど。しばらくはCLIEと手帳を併用して、どこかのタイミングでCLIEは修理行きだ。

 午後は試写を3本。1時からヘラルドで望月六郎監督の『かまち』。山田かまちの伝記映画だとばかり思っていたら、必ずしもそうではないというところがミソ。でもかまちの伝記部分と現代のエピソードが、うまく噛み合っていないのではないだろうか。2本目はGAGAに移動して、グウィネス・パルトロー主演の『ハッピー・フライト』。試写室が超満員なのには驚いた。

 六本木の吉野家で食事をしてから次の試写がある渋谷に向かったのだが、吉野家は特に空いているわけでもなく、そこそこの客がいたようだ。ただし注文がばらばらになるので、店員は「そこそこの客」をさばくのにもてんてこ舞い。客が集中する昼時などは、たぶん大変なことになっているんじゃないだろうか。

 7時からシネカノンでNHK製作のアフガニスタン映画『アフガン零年』。ゴールデングローブ賞で外国語映画賞を受賞している作品だが、これは観ていてやりきれなかった。アメリカのアフガニスタン攻撃は、結局テロの首謀者ビンラディンを捕らえられなかったことで物笑いの種になっている面もあるけれど、タリバン支配下のアフガニスタンがこういう状態だったことを考えると、アメリカの攻撃は「解放軍」という意味合いもあるんだろうと思う。

 「映画瓦版」の映画評記事にスタイルシートを適用しようと思い、書店で「スタイルシート・ステップアップ・アレンジブック」という入門書を買ってきた。これはスタイルシートのを基礎から応用まで順に学んでいける好著だと思うのだが、HTMLについての解説がまったくなく、スタイルの一覧も色見本もないので、いざ自分でスタイルシートを作ろうとすると、他の参考書やサイトの情報が必要になる。この本は「スタイルシートでこんなことができる」「具体的にはこう作る」という読み物としては優れていると思うけれど、これを手引きに自分でページを作るのは難しいと思う。僕ももう1冊、別の参考書を買おうと思う。

 いろいろ苦労して「映画瓦版」の中の映画評ページをスタイルシートでデザインし直してみた。『Re:プレイ』のページをいじくり回して、あとはこれを下敷きにして次々にページを作ろうと思っている。とりあえず何をしたかというと、大きなデザインの違いは左右に空白を作ったり行間を空けたりして、本文を少し読みやすくしたことぐらいかな……。あと、デザインの指示を外部スタイルシートにしているので、ページ内のHTMLタグは大幅に少なくなっている。

 最初は文字サイズを絶対値で指定していたのだが、それだとブラウザーで文字の大きさが調節できないので相対値に変更。1箇所だけどうしてもやりかたがわからず、ページ下部の広告部分だけはテーブルを使ってレイアウトしている。「CSSしか使わないぞ!」などと気張らずに、少しずつ手を入れて行こうと思う。

 昨日ぐらいからAdSenseのクリック率が大幅低下。広告に日本語の公共広告らしきものも多数表示されるようになった。それと関係あるのかな。公共広告自体は、広告の目先が変わるから大歓迎なんですけどね。

11:20 午後 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

cocohore!とcocodoko?

 「未定。」の記事を参考に、cocohore!とcocodoko?の機能を追加しました。

 cocohore!はサイト内記事のカテゴリー別一覧を作ってくれるもの。cocodoko?は、クリックすると無作為に選ばれた他のココログが開きます。これは便利。そして面白い。どちらも右側のサイドメニューに入れておきました。

07:49 午前 | 固定リンク | コメント(1) | トラックバック

2004.02.23

日記|支払調書がたりない!

 今日は一日中、メルマガの編集をして過ごす。その合間に、メールの返事を出したり、ココログのデザインを直したり(またやってる)、ココログの記事を書いたり、まぁいろいろ……。メルマガのために「ぴあ」を買いに行ったら、近くのコンビニでも書店でも売り切れ。やっぱり年間定期購読した方がいいのだろうか。ちょうど今週の「ぴあ」には年間購読のお知らせが載っていたのだが、これって年間契約しても、特別安くなるわけじゃないんだよね。すぐ近くにコンビニが何件かあるんだから、とりあえずは月曜日ごとに買いに出た方がいいかなぁと思っている。年間購読料を年間発行回数の50(だと思う)で割った時、300円を切るようならすぐにでも契約するんだけどなぁ。

 夕方にメルマガを完成させて発行手続き。確定申告のためにまず支払調書を整理しようと思ったら、毎週レギュラーでやっている仕事の支払調書が出ていないことに気づく。前からそんな気はしていたんだけど、やっぱりそうか。こんなことは、もっと前の段階で調べておくべきだった。支払額が少なければ無視してしまうんだけど、なにぶんかなり大きな支払額なので、源泉徴収されている税額も多く、これは支払調書を是が非でも送ってもらわねばならない。担当者に支払調書送付をメールで依頼する。確定申告は今週末か来週だなぁ……。

11:05 午後 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

山田洋次と黄色いハンカチ

 共同通信の記事を受けて、山田洋次監督が毎日新聞の取材に文書で回答したものが、2月20日付けの毎日新聞に載っている。文書による質問と回答の全文は以下の通り。

黄色いハンカチ: 「兵士の無事願うことと違う」 山田洋次監督

 ◆毎日新聞が山田洋次監督に出した質問と、山田監督が寄せた回答(全文)は次の通り。

 質問

 黄色いハンカチ運動についてどのように思われますか。反発の声がある一方で「あのハンカチがあるからこそ、心の支えになった。映画に救われた」との隊員家族の声もあります。

 回答

 ○自衛隊員を派兵する町で「黄色いハンカチ」が見送りに使われていることは、とても気になります。

 ○映画「幸福の黄色いハンカチ」の原作では、ハンカチでなく黄色いリボンで、戦地に赴く兵士を見送ったり、帰還兵を迎えるために黄色いリボンを振るのはアメリカの古くからの習慣のようです。

 ○日本の自衛隊は、イラクに戦争に行くわけではないから、なぜアメリカの習慣のまねをするのか。その昔、「日の丸」の旗を振って兵隊を見送ったのと同じことになってしまうのではないか。

 ○映画「幸福の黄色いハンカチ」は、愛する事の許しを得るという物語です。いわば夫婦の愛の証として、ハンカチを使ったわけで、戦争に行く兵士が無事帰ってきてほしいということと本質的に違うということです。

 ○黄色いリボンやハンカチを並べると派手なのですが、それがイベントみたいになる中で、イラク派兵が憲法違反ではないかという重要な論点が消えてしまうのが不安です。今はじっくりと議論することが大事だと思います。

 以上、よろしくお願いします。

 実際に「黄色いハンカチ運動」を行っている旭川商工会議所のホームページ他の新聞記事と合わせて読むと、山田監督と「黄色いハンカチ運動」のズレが見えてくる。山田監督は黄色いハンカチを『自衛隊員を派兵する町で「黄色いハンカチ」が見送りに使われている』と言い、これが『その昔、「日の丸」の旗を振って兵隊を見送ったのと同じことになってしまう』と考えている。しかしそもそもこの運動は、派遣された自衛官の『無事帰還』を願って始められたもので、戦争中に日の丸の小旗を打ち振って「お国のためにがんばってこい」「立派に手柄を立ててこい」と送り出したものとは意味がまるで違うと思う。

 以下、旭川商工会議所の「黄色いハンカチ運動」のページから、この運動の趣旨に関する部分を引用する。

黄色いハンカチ運動

イラクヘの人道復興支援のため派遣される旭川市に司令部を置く陸上自衛隊第二師団隊員の無事帰還を願い、その意思表示として「黄色いハンカチ運動」を企画いたしました。

……中略……

 この運動は、派遣賛成とか反対とか諸々の一切の思想的、政治的背景を持つものではなく、如何なる背景が在うとも、この旭川から困難が予想される任地へ旭川市民が(自衛隊員)赴くと云う事に対して、私たち旭川市民の一員として、有志を募り、その、「私たちは待っています…」と云う、意思表示として「黄色いハンカチ」をその心の象徴として、また、忘れない為にも旭川へ帰ってくるその日まで掲げ、心から無事を祈り帰還を待つものです。

 (どうでもいいけど、上記の文章はとてつもない悪文だと思う。特に「中略」以降の文章が途切れなく最後まで続いていくあたりは、読んでいても歯切れが悪くて何が言いたいのかわかりにくい印象を与える。)

 山田監督は『日本の自衛隊は、イラクに戦争に行くわけではない』と言っているけれど、そもそも映画『幸福の黄色いハンカチ』の原作となったピート・ハミルの短編でも、主人公の男は戦争に行っていたわけではないぞ。黄色いリボンは「戦争からの無事の帰還」を願うだけではなく、もっと広い意味で「愛する人に無事帰って来てほしい」と願う気持ちのシンボルなのではないだろうか。おそらく山田監督も、原作からそうした意図をくみ取って『幸福の黄色いハンカチ』を作ったはず。今さら「黄色いリボン」の意味を「戦争」や「兵士」のみと強く結びつけ、それ以外の気持ちを無視してしまうのは、むしろ映画『幸福の黄色いハンカチ』のテーマを歪めてしまうものだと思う。

 観客が『幸福の黄色いハンカチ』を観て感動するのは、そこに描かれた『夫婦の愛』が、もっと大きな人間同士の絆や愛情という問題と結びついているからだと思う。深い愛情で結ばれた夫婦の物語に、なんで恋愛経験の乏しい中学生や高校生が感動するのか。それは映画の中で高倉健の帰りを待ち続けた倍賞千恵子の姿に、自分の身近な誰かが自分に示してくれた無条件の愛を見るからなのだ。それは子供の場合、母や父が自分に示してくれた愛情でもあるだろう。親しい友や隣人が、自分を受け入れてくれた経験でもあるだろう。

 イラクに派遣された自衛隊員の無事を願い、「黄色いハンカチ運動」に賛同した人たちの中には、もちろん派遣された自衛官の妻もいるだろうし、家族や友人もいるだろう。そうした人たちが家族や仲間の無事の帰還を願っているのなら、その気持ちは当然『幸福の黄色いハンカチ』の倍賞千恵子の気持ちと通じるものがあるんじゃないのかな。少なくとも映画をヒントにこの運動を考えた人たちは、そこに明らかな共通点を見ていたのではなかろうか。

02:38 午後 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

黄色いリボンと日本の立場

 イラクに派遣された自衛官たちの無事を祈って、黄色いハンカチやリボンを身につけたり掲げたりしようという運動が北海道で始まったという。それに対して映画『幸福の黄色いハンカチ』の山田洋次監督が違和感を表明したという。以下は共同通信の記事からの引用。

幸福か?黄色いハンカチ 山田監督、運動に違和感

 山田さんは「イラクに派遣される自衛隊員と、その家族の不安はよく理解できる」としながらも、ハンカチ運動の盛り上がりで、自衛隊のイラク派遣をめぐる憲法論議の焦点がぼけてしまうことを危ぐ。「こじれた愛情を回復するという映画が、憲法の大問題にかかわる話に使われるのは妙な感じ」と強調した。

……中略……

 これに対し山田さんは「米国の習慣をまねすることは『イラク派兵』を認めてしまうことになる。(日本の黄色いハンカチ運動は)大味なことをしていると感じられる」と語った。

 そもそも兵士の無事を祈るシンボルはアメリカで「黄色いリボン」として定着しており、それを踏まえてピート・ハミルは短編「幸せの黄色いリボン」(「ニューヨーク・スケッチブック」に収録)を書いた。これはアメリカで「幸せの黄色いリボン(Tie A Yellow Ribbon Round The Old Oak Tree)」というフォークソングになって大ヒットし、日本でも多くの歌手がカバーしているようだ。今では一種のスタンダード・ナンバーです。

 そんなハミルの小説を翻案映画化したのが山田洋次監督の『幸福の黄色いハンカチ』だから、そもそも山田監督が『米国の習慣をまね』したとも言える。もちろん映画の中ではアメリカのこうした習慣を知らない人にもメッセージが伝わるように脚本の上できちんと工夫がなされているのだが、映画を観た人には「大切な人に戻ってきてほしい」という黄色いリボン本来のメッセージは伝わるようにできている。それが巡り巡って、今回の「黄色いハンカチ運動」になったわけだ。

 自衛官の無事帰還を願う運動が、アメリカ流の「黄色いリボン」ではなく「ハンカチ」になっているのは、明らかに山田監督の映画の影響だろう。そして映画の舞台になった北海道という土地柄もあると思う。これがよその土地なら、ここまであからさまに「黄色いハンカチ」にはならなかったと思う。

 それにしても、いったいどこの誰が「黄色いハンカチ運動」を『憲法の大問題にかかわる話』にからめているというのか。「黄色いハンカチ運動」そのものは、自衛官の無事の帰還を願うという素朴な気持ちに発したものではないのか。「黄色いハンカチ運動」は、イラクに自衛隊を派遣するという“政治決定”に賛成も反対もしていない。それはまた別の話なのだ。政策に対する賛成や反対は、もちろん十分に論じ合うべきだと思う。しかしそれと「自衛官の無事を願う運動」が両立しないとしたら、それはあまりにも窮屈な考えではないだろうか。

 『米国の習慣をまねすることは『イラク派兵』を認めてしまうことになる』という理屈もよくわからない。「黄色いハンカチ運動」があろうとなかろうと、イラクには今この時も実際に自衛隊員がいるのです。その無事を願うことと、自衛隊のイラク派遣を認めることは別問題でしょうに。もしイラクでの自衛隊員の無事を願うことが「イラク派兵」を認めることになるのだとしたら、逆に「自衛官はイラクで死ねばいい」と願うことが、「イラク派兵」を認めないことになるのかね……。

 まぁイラクで自衛官の犠牲者が出れば、それによって「隊員たちを危険な場所から引き上げさせろ」という気運が盛り上がる可能性はあるので、海外“派兵”反対論者は心のどこかで、イラクで自衛官が犠牲になることを願っているのかもしれないけどさ。

 (ところで、こういう場面で自衛隊の海外派遣反対論者がしばしば「派兵」という言葉を使うのも気になる。自衛隊は実質的に軍隊ですから、「派兵」という言葉が間違いというわけではない。でもここで「派兵」という言葉を使いたがる人は、自衛隊が被災地に救難支援に向かったり、札幌雪祭りで雪像を作るために人員が使われることも「派兵」と言うのか? たぶんそういう場合は「派兵」と言わないと思うぞ。)

 新聞のインタビューなどは長めの談話をかいつまんだものだから、山田洋次監督の真意がこれらのコメントに100%反映されているとも思えない。単に映画の作者として、「こんなつもりじゃなかったんだけど」という違和感や戸惑いを表明したもの程度に受け取っておくべきかもしれないけどね。

 ところで今回の件についてコメントしているブログの中に、以下のような意見があった。

Tokyo Forum:戦争を反対しなきゃいけない日本人の置かれた立場

今回の自衛隊派遣に違和感を覚えるのは、やはり日本が戦争に向かっているのかもしれない、と受け止められる面があるからだ。

 日本は1945年の「敗戦」を勝手に「終戦」と呼び換えて、まるでこの地上から一切の戦争がなくなったかのように振る舞ってきた。確かに戦後半世紀以上に渡って日本は平和だったけれど、もちろんその間も、この地球上から一切の戦争がなくなったわけではない。今後日本が「世界の中の日本」であろうとするなら、世界のどこかで今この時に起きている戦争に対して、直接間接に何らかのコミットをせざるを得ないのではないだろうか。

 日本から遠く離れた場所で起きている戦争を見て見ぬふりして自国の利益だけを願うのか、それとも他国の戦争と向き合ってその解決のために努力するのか……。どちらが「世界の中の日本」として正しい態度なのかは、言うまでもないと思う。日本人が好むと好まざるとに関わらず、国際社会は日本が他国の戦争に関心を持つことを求めている。21世紀の日本は否応なしに、海外で起きている戦争に巻き込まれていくだろう。自衛隊のイラク派遣は、その第一歩だと思う。

 以下、同じTokyo Forumの記事へのコメントになる。

わたしは常日頃、戦争反対を掲げているワケではないが、ただひとつだけ強く思っていることはある。 日本人は、広島・長崎を忘れてはいけない。
原爆を落とされた国の人間として、原爆はいけない、戦争はいけない、と声を上げる義務があると思う。
そう、義務があると思っている。

 僕は「日本人だから広島・長崎を記憶せよ」という意見には違和感を感じる。こういうのって、広島・長崎の記憶を日本人の中だけで独占しておきたい、あるいは、広島・長崎の語り部になれるのは日本人しかいないという、一種の特権意識じゃないでしょうか。もちろん日本人が広島・長崎を忘れてしまうのはもってのほかだけれど、「日本人だから」「世界で唯一の被爆国だから」という言い方は、もう止めた方がいいような気がする。それではいつまでたっても、被爆体験は人類共通の「歴史の記憶」になっていかない。

 日本人は被爆体験を継承していく義務がある。それは間違いないことだと思う。でも被爆体験を持たない国や国民は、広島・長崎の体験を伝えていく義務を持たないのか? そうではないと思う。被爆体験を継承していく義務は、今や世界中の人々が持っていると考えた方がいい。日本人がその先頭に立つのは構わないけれど、「原爆を落とされた国の人間として」という立場であまり物を言うと、「原爆を落とした国の人間」はその物言いに反発することもあるでしょう。現にアメリカで原爆展をやろうとすれば、必ず反対運動が起きている。

 「俺たちは被害者だ」と“加害者”の前で大声を上げれば、相手は嫌な顔をするに決まっているではないか。「世界で唯一の被爆国」という言い方が、国際社会にメッセージを伝えるのに効果を持った時代も確かにあったのでしょう。でもそろそろ、その看板ははずした方がいいんじゃないだろうか。「被爆国」という看板をしょって歩くことで、かえって世界にメッセージが届きにくくなっている面もあると思うけどなぁ。

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2004.02.22

日記|スタイルシートの深み

 午前中はCS。昼頃に戻って食事をしてから、ココログのデザインをさらに修正。サイドメニューの訪問済みリンクの色が薄いのが気になっていたため、これを修正。また投稿した記事の日付を少し大きくして色を直す。全体が同じような色になってしまったのがまだ気になるので、色合いなどについてはまた直すかもしれない。

 デザイン変更はページを表示してから「名前を付けて保存」し、保存されたスタイルシートをちょっとずつ変更しては様子を見るという方法で行っている。これなら本体に影響を与えることなく、自分の手元で結果がすべて検証できるので便利。他の人たちはどうやってデザインを調整しているのだろうか。

 スタイルシートを使うといろいろなことができることが、ココログを使い始めてようやくわかった。今までも「映画瓦版」で一部の機能を使ってはいたものの、HTMLに存在しないデザイン要素を拡張する程度にしか考えていなかった。映画瓦版の映画評記事なども、本来はスタイルシートを外部に置いて、記事本体はもっと軽くした方がいいのかもしれない。トップページや目次のページもしかり。スタイルシートについては、簡単な入門書を探してみようと思う。

 ちょっと眠いので少し昼寝。夕方に起きて、食事をしてからクイズの仕事。今夜中にクイズに目星を付けて、明日はメルマガと確定申告の申告書作りをする予定。というか、そろそろやらないとマズイのだ。

 「老子」を読み終わったので、岩波版の「新約聖書」に取りかかる。あ、これも再読の「中島敦 ちくま日本文学全集」を、読みかけのまま放り出している。これは小さいので、外出中にでも読もうか。

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老子 よく生きるための81章

老子 よく生きるための81章
97年1月11日付けの芳林堂書店・池袋本店のレシートがはさまっていた。購入直後に一度読み、今回は再読。最初に読んだ時も著者独特の「老子」解釈は気になったが、それは今回も同じだった。わかりやすく古典を敷衍していこうとする意図は感じるのだが、それがかえって原文の面白さを損ねているように思う。

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