2022年4月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

« 英語嫌いの言い訳 | トップページ | 新聞のない生活 »

2005.02.10

ニートは高等遊民なのだ

 学校を卒業しても(中退しても)働くことなくブラブラしている人をニート(NEET = Not in Employment, Education or Training = 職に就いていず、学校機関に所属もしていず、そして就労に向けた具体的な動きをしていない)と呼ぶ。で、例によってゴロ合わせなのだが、2月10日は「ニートの日」なんだそうだ。

 ニートは英国で新しい「社会問題」として語られはじめた言葉が日本に輸入されたもので、そこには最初からネガティブな意味合いが込められている。ニートというのは、そもそも否定すべきものなのだ。ニートを「社会に出て行くための準備期間」と積極的に評価しようとする人たちもいるが、それはニートではなく「モラトリアム」と呼ぶべきで、日本では高度成長が一段落した昭和50年代頃から、大学生活が社会的に認知されたモラトリアム期間として機能していたはず。ニートが「社会に出て行くための準備期間」なのだとすれば、それはモラトリアム期間が大学4年間では足りなかったというだけの話じゃないの?

 ところでニートを「由々しき社会問題だ」という人たちと、ニートを社会に出るためのモラトリアム期間だと肯定的にとらえる人は、ニートをまるで正反対に評価しているように見える。しかしこの人たちは、ニートがいずれは社会に出て行かなければならないと考えているる点ではまったく同じだったりする。イソップ寓話の北風と太陽と同じ。旅人の服を脱がせようとする目的は同じで、その方法が違うだけ。「ニートよ社会に出よ!」という点で両者の目的は同じなのだ。

 しかしそもそも、ニートは本当に社会に出て行かなければならないのか? 働かなくても食べていけるというのは、親がそれなりの資産を持っているのでしょう。ニートと呼ばれる人たちがその不労資産を浪費していくことで、結果としては「真面目に働いている人たち」にその富が分配されていくことになる。結構な話ではないか。イギリスのニートはおそらくろくな教育を受けていない社会層だろうが、日本は高校進学率95%以上とうい高学歴社会だ。それなりに高い教育を受け、その上で働かないでも食べていけるのなら、それはそれでいいんじゃないの?

 ニートなんて、最初からネガティブな意味合いが付きまとう言葉を使うからいけない。そこそこちゃんとした教育を受け、その上で仕事に就かずぶらぶらしている人たちを、かつては「高等遊民」と呼んでいたのです。「高等」というのは親が資産家でふんだんにお金が使えるという意味ではない。高等教育を受けている遊民が、高等遊民なのです。高校進学率95%の日本では、ニートのほとんどが高等遊民と言っても差し支えない。

 日本のニート人口は数十万人だという。だとすれば現代の日本は、数十万人の高等遊民を養うほどに豊かだということだ。内田魯庵はこう言っている。

 遊民は如何なる国、何れの時代にもある。何所の国に行っても全国民が朝から晩まで稼いで居るものではない。けれども、国に遊民のあるは決して憂うるに足らぬことだ。即ち、これあるは其の国の余裕を示す所以で、勤勉な国民に富んで居るのは、見ように依ってはその国が貧乏だからである。遊民の多きを亡国の兆(ちょう)だなどゝ苦労するのは大きな間違いだ。
「文明国には必ず智識ある高等遊民あり」より

 遊民を「ニート」に読み替えれば、これはこのまま現代にも当てはまるのではないだろうか。

 明治大正の「高等遊民」たちはその後どなったのだろうか? それを考えることが、現代の「ニート」について考える手がかりになるような気もするけれど……。

魯庵の明治
内田 魯庵 山口 昌男 坪内 祐三


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

« 英語嫌いの言い訳 | トップページ | 新聞のない生活 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

いつも映画瓦版読ませていただいてます。

ニートに関してそういう見方があるんだと少し驚きました。たしかに働かないで生きていけるってことは親が金持ちっていうことですよね。
ただニートは社会に縛られてないために犯罪行為に手を出しやすい気がするんです。そういう行為で暮らしているニートもたくさんいるような気がします。だから僕はニートに対して否定寄りです。

ニートは本当に社会に縛られていないのでしょうか? 経済的には親に依存しているわけですから、親の目という縛りはあるでしょう。引きこもりなど極端な例を除けば、ニートは友達もいれば近所づきあいもあるわけです。「会社」に縛られていないことが、「社会」に縛られていないこととイコールではありませんよ。

そもそもニートは犯罪に手を出しやすいというのは、そういう“気がする”だけで実体としては不明ですよね。ニートが犯罪に手を出す比率と、高校生や大学生が犯罪に手を出す比率はどちらが高いのでしょうか。僕はなんとなく、普通の高校生や大学生のほうが犯罪比率が高いような“気がする”のですが……。

たしかにそうかもしれません。けど僕はニートに対してどうしても肯定的には見れません。たとえば高校卒業後2~3年ぷらぷらしてる、というならまだしも30歳前後という年齢になっても働かないで親に依存してる人はどうなんだろう、と思ってしまいます。
これはものすごい個人的な意見ですが・・。

ニートという言葉が生まれたイギリスでは、ニートが公的な社会保障に依存するから社会問題になったのでしょう。つまりニートは税金で食っていた。でも日本のニートは、今のところ親が養っているケースがほとんどのはずです。家庭の事情はさまざまでしょうから、それについて他人がとやかく言う問題ではないと思いますけど……。

イギリスのニートは就職したくても就職できない人たちという面が大きいと思いますが、日本のニートはそもそも働く意欲がないわけです。働かなくても食えるなら、なにも好き好んであくせく働く必要はないでしょう。親が食べさせてくれる間は、それに依存し続けるという選択もあり得るかもしれません。

そもそも人は何のために働くのでしょう。「金のため」「生活のため」だとするなら、もともと生活するに困らない程度の資産を持つ人は、最初から働く必要などないのです。

日本人は戦後の復興期にまず「生活のため」に働きました。生活が一段落したら、次は「より豊かな生活」のために働きました。ところが今は、これ以上の豊かさが過分な贅沢でしかないところにまで、日本の社会は豊かになったわけです。この上で日本人は今までどおり働き続ける必要があるんでしょうか? ニートはまさに、そういう状況で生まれてきているのだと思います。

最近は「スローライフ」が注目を集めていますが、スローライフとニートは似たところから発生したものかもしれません。

ニート=「高等遊民」など、とんでもない。
「高等遊民」は、夏目漱石などが好んで描いているが、当時の“高学歴”(主に東大卒)者が、本来なら学者あるいは教育者、その他インテリ層として就労し(あるいはそれに足る資格と可能性を有し)、その学歴や教養を社会に還元すると目されているにもかかわらず、ありあまる家財をバックに、それを拒否して自由気ままな生活を送っている、というもの。
最近規定されたニートの定義は、「働きもせず、学校へも行かずぶらぶら暮らしている若者」を想定しており、いわゆる「引きこもり」もそれに含まれる。親の財産の多寡は問わないし、「高等」の意味するところもまったく違う(笑)。全然別物。

言葉の定義としては、高等教育(大学教育)を受けた遊民(無職者)が「高等遊民」です。家財の有無は無関係。ただし明治時代に高等教育を受けられるのは、原則として資産家の子弟かその縁故者にに限られたというだけのこと。

一億総中流の現代日本では、四年制大学を出た後も家でぶらぶらしている息子や娘を養う程度の財力がどの家にもあるわけです。そもそも子供を大学に進学させられるというのは、家計に余裕のある証拠なんですけどね……。

言葉の定義ではなく、「高等遊民」というものが当時どう認識されていたか(どういう意味素を持っていたか)、そして今の「ニート」がどういう認識のもとに規定されているかの違いを述べているわけです。既述のとおり、もう全然違う。

それに、現在の日本の「ニート」とは、高校生~大学生にあたる世代が中心。学校には行かない、かといって働きもしない、社会での自己実現の場を探しあぐねている、あるいは初めから探す気を持たない少年層です。ここでは、親に経済力があるかどうかは関係ない。とにかく子どもが、社会との接触を断って無気力に生きる状態に陥っている。実際、親は生活に余裕がなくて困っているのに、子どもがニートというケースは多々あります。

ニートが問題視されているのは、単に経済価値を生み出さないからというばかりでなく、今の社会のゆがみが現れているのではという危惧によるもの。人格形成の中途期にあり、本来ならば積極的な社会活動によってそれを達成しつつあるはずの若者が、このような状態でいるのは、将来の個人にとっても社会にとっても望ましくないと考えられているからです。

内閣府の調査によれば「職探しも進学も職業訓練もしていない若年無業者(ニート)が全国で約85万人」だそうです。生の資料が以下にありますが、これを見ると、確かにニートの多くは低学歴のようですね。

http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/shurou/chukan.pdf

INOと申します。
映画瓦版ML、映画評論等いつも楽しく読ませてもらっています。
身近にニートのいる者として、ニートについてはかなり心配です。
今は親の財産で食べていけますが、親の死後も一生生活していけるのでしょうか?
そもそもニートの人に財産管理能力があるのでしょうか?
ニートだった者を受け入れてくれる職場は少ないように思うのですが・・・
今のニートは数年後、数十年後に大問題になるように思います。
やはり少しでも早く職について、自活していくだけの技能を身につけてほしいです。

 働かない人というのは、働く必要がないか、働く必要性を感じていないから働かないのです。でもこれは、教育のたまものですよ。「学校に行きたくなければ行かなくてもいいんだ」「自分に合った生き方を探せばいい」と言いながら子供を育ててきたら、世の中が必然的にこうなっただけの話で、今頃じたばた慌ててもしょうがないのかもしれません。

 内閣府の調査では、ニート比率は低学歴の方が多いそうです。「学校が嫌なら学校に行かなくていい」と考えている人たちが、「働きたくなければ働かなくてもいい」と考えるのは理の当然。かつて「日本の学校の管理は刑務所と同じだ」などとマスコミは子供をさんざん焚きつけたわけですが、会社勤めが学校以上に規則や時間に縛られがんじがらめであることを、子供たちだってちゃんと知ってます。学校が嫌な人は、会社なんてもっと嫌。学校に適応できない人は、会社にも適応できないのです。

 昔はそれでも、会社以外の「社会」が世の中には存在したのでしょう。例えば家業の手伝いとかね。でも今の日本はサラリーマン社会ですから、学校からこぼれ落ちてしまうともう行き場がないわけです。会社勤めの父親では、「俺のところで鍛えてやる」とも言えませんしね。

 日本では「詰め込み教育反対!」の国民的大合唱に文部省が押し切られる形で、数年前から「ゆとり教育」が始まりました。しかしこれはわずか数年で破綻して、来年からは少しだけ元に戻るようです。でも週休二日制で授業時間が足りませんから、これは到底元通りにはなり得ません。

 「管理教育反対!」で学校が自由化・開放化された結果が現在のニート増加の一因とも思いますが、だからといって以前のように校則でがんじがらめの学校が流行るとも思えないのですけどね。

 同じ内閣府の調査によれば、ニートを抱えた家庭は必ずしも豊かなわけではなく、むしろ低所得であることが多いらしい。それが少ない収入でニートを養っている場面もあるわけで、これはもう「悲劇ですなぁ」としか言えません。親が生きている間は何とかなっても、死んだらどうするのでしょうね。

 まあ働かねばならない必然性ができれば、ニートの大半は自活のために働き始めるとは思います。職能としての熟練を要しない単純労働のニーズは常に日本にはありますから、ニートはそうした労働市場に吸収されていくと思います。そうした労働市場は、ニート返上組と外国人労働者が競合するようになるでしょう。ただそれでもやっぱり働かないという、筋金入りのニートも増えるでしょう。それはもう、社会全体で抱え込むしかないんでしょうね~。

糞ニートが高等遊民とかヴァカじゃないの?

日経「ニートが生まれるのは、むしろ経済的に苦しい家庭」(東京大学、玄田有史助教授)
2002年の調査によれば「無業者」は全国で213万2千人。 無業者の中身が問題。「求職型」(就職希望を表明死活求職活動を行っている人)は128万5千人。「非求職型」(就職希望を表明しながら求職活動を行っていない人)は42万6千人。「非希望型」(そもそも就職希望すら表明していない人)は42万1千人。 ニートとは、これら非求職型及び非希望型のことを指すが、合計で84万7千人。 ニートと学歴とは強い関係があることもわかった。ニートの圧倒的多数は、高等教育を受けていない。 また今回わかったことだが、ニートをめぐる厳しい経済状況。従来、ニートとは裕福な親が子供を甘やかした結果、子供が就業に対して無気力になったのだろうとの批判があったが、実態は大きく異なる。ニートが生まれるのは、経済的に余裕のある家庭よりも、むしろ経済的に苦しい家庭であるという傾向が強まりつつある。

ニートが必ずしも高等遊民であるというわけではないが、高等遊民はニート。

ニートは高等遊民であるという見方も
あると思います。だって働かなくても
好きなことをやって生活してるのは一緒ですから。ニートに対する偏見はやはり団塊世代くらいの高度経済成長期のような総労働者環境しか経験していない人の思い込みからきてるものでしょう。だいたいイギリスのように税金で食べて国家負担になっているならわかるのですが、日本のニートの場合は少なくとも国家負担にはなっていないのですから問題ないかと(これから問題化する可能性はありますが)
だいたい諸外国をみれば国民全員働いている国なんて日本だけです。戦後復興期なら働かないといけないという考え方わかりますが、戦後復興を終えて
デフレ不況下ならなんら問題はなんら
問題はないと思います。これはもう
それを許容できるかの感情論の問題でしょう。そして、それを炊きつけているのが団塊世代の人たちとその人たちに洗脳されているワーキングプアの
労働者でしょう。
ほとんどルサンチマンです。まあ、私はじょじょに是正されるとは思いますが。だって一億層中流
時代は確実に終わりですから。いいかげん職業差別はやめましょう。

やあ、私は気が向けば働いて気が向かなければ数ヶ月も本を読んだり映画見に行ったりという気ままな生活を送っているものです、ニートとは少し違うかもしれませんが、好んでニートだと名乗ってるちょっと気の毒な人だと言う周りの認識に、当らずと雖も遠からずと言った所です。

なるほどこういう考え方もありますか。
高等遊民のその後としては第一次世界大戦の勃発により、戦争特需が経済が上向きになり、就職難が解消され高等遊民は姿を消したと聞きました。

本題のニート=高等遊民ですが、大学教育が形骸化している現在、実になる技術を独学で身につけている人のことは、確かにそう呼べるのかもしれません。
それに、結局の所働かなくても食べていけるのならば、それはそれで良いのではないでしょうか?
逆を言えば世渡り上手という意味でありますし、空いた時間に勉強や趣味に没頭したりできるのであれば必ずしもそれが無為な時間ではないでしょうし。
その分物事に詳しければある意味での高等、つまり高等遊民ということになるのではないかなと。


どうにも世間と言うのは(私も勿論含めて)善悪論に偏りがちと言いますか、深い意味合いとしてあまり考えないといいますか。
マスコミや書籍等で見られる「汗水たらして働く=善 楽している働かない=悪」というこの構図に皆様感化されすぎのような気がしてなりません。
私はなんともこの構図が非常に「共産主義的」であまり好きではありませんね。人民労働党でもお作りになられるのでしょうかね?(笑)

ニートが悪い!と言った論調の方は何故ニートが悪いと言われているのか、雑誌やテレビに惑わされず今一度考えていただきたい。
国が疲弊する? 明治時代の日本は疲弊していたでしょうか?仮に疲弊していたとしてもそれは高等遊民のせいであったでしょうか?

今一度考えていただきたい。
働いてるあなたは本当に「正義」なのでしょうか?

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ニートは高等遊民なのだ:

« 英語嫌いの言い訳 | トップページ | 新聞のない生活 »