新聞のない生活
新聞を取らなくなってもうだいぶたつ。独り暮らしを始めてしばらくは取っていたのだが、その後は新聞を読む読まないという問題よりも、古新聞を処分するのが面倒くさくなって取るのを止めてしまった。新聞にはなるべく目を通すようにはしているが、それでも全部の記事に目を通しているわけではない。毎朝出勤前の限られた時間に読める記事など、全体の1~2割程度ではないだろうか。そもそもあの分厚い新聞を、毎日隅から隅まで読んでいる人なんてどれだけいるんだ? 半分以上は読まれることなく、広告チラシと一緒に古新聞として部屋の隅に積み上げられるのではないのか。だとしたら朝夕宅配されている新聞の実体は、その大半がじつは「紙ごみ」なのだ。
そう思ったとたんに、僕は新聞を取っているのがばかばかしくなった。あれは「新聞」を買っているのではない。「紙ごみ」を買っているのだ。新聞配達店が各戸から金を取って紙ごみを配って歩き、それを各世帯の人たちがまとめて資源ごみ(あるいは燃えるゴミ)に出す。僕はエコロジストではないので、それが「資源の無駄だ」などと言うつもりはないのだが、紙ごみを配って、それをまた捨てるという日々の作業の繰り返しは「労力の無駄」だと思った。しかし新聞を取らなくなるだけで、この無駄な労力のサイクルから抜け出すことができる。そこで僕は、この無駄なサイクルから抜け出した。
新聞を取らなくなると、毎朝新聞を読むという生活習慣がなくなったことでしばらくは調子が狂う。しかしそんなものは、数週間もすれば慣れてしまう。そしてその時気がつくのだ。自分は新聞がなくても何も困らないとうことに。世の中の動きの大概のことは、テレビを見ていればわかる。電車の中で見かける週刊誌の中吊り広告を見れば、最近のニュースの中で何が世間の関心事になっているかがわかる。それ以上のことは、コンビニで週刊誌を立ち読みすればたいていわかる。数年前からはインターネットが常時接続になったことで、ますます新聞は不要になってしまった。今後も僕が新聞を取ることはまずないだろう。
新聞を取らなくなって一番困るのは、じつは折り込み広告が手に入らなくなったことだ。近所のスーパーで何を安売りするかなんて情報は、テレビの情報番組でも、インターネットでも調べられない。新聞販売店で折り込み広告だけ宅配してくれるサービスを始めてくれないかなぁ……。
ネットは新聞を殺すのか-変貌するマスメディア | |
![]() | 国際社会経済研究所 青木 日照 湯川 鶴章 NTT出版 2003-09-25 売り上げランキング : 32,102 おすすめ平均 ![]() ![]() ![]() ![]() Amazonで詳しく見る by G-Tools |
« ニートは高等遊民なのだ | トップページ | LAN対応HDDが欲しい »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 日記ページは引っ越します!(2013.07.31)
- 新刊「聖書ダメ人間事典」(2013.07.09)
- 映画瓦版メルマガ版のお知らせ(2013.07.06)
- 「新佃島・映画ジャーナル 1999-2003」発売(2013.07.03)
- 本日(7/1)午後4時より電子書籍無料キャンペーン(2013.07.01)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント