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2005.04.18

反省と死刑

 昨年奈良市で小学1年生の女の子をを誘拐・殺害して逮捕された、元新聞販売所従業員(36)の裁判が始まった。本人にはまったく反省の色がなく、「自分の名前が有名になって満足」「早く死刑になりたい」「社会復帰することがあればまた同じことをするだろう」などと言っているらしい。太々しいというか、投げやりというか、そもそも自分が悪いことをして裁かれているという意識すらないのではないだろうか。01年に大阪の小学校で起きた児童殺傷事件の犯人が、やはりまったく反省の意思を見せないまま死刑になったことを思い出す。

 残忍な事件が起きて犯人が捕まると、僕も含めて多くの人が「ひどい奴だ。死刑にしてしまえ!」と考える。しかし取り調べや裁判の中で、反省の素振りは見せない、動機もはっきり話さない、それどころか「早く死刑になりたい」と主張して、実際に控訴もしないで死刑になられたりすると、逆になんだか釈然としない思いを抱く人が多いようだ。テレビのワイドショーでは、「犯人には人間としての心を取り戻してほしかった」とか、「死んだ被害者に詫びてほしかった」とか、「事件の真相につながる真実をもっと語ってほしかった」などと司会者や出演者が紋切り型のコメントを出す。

 今回の事件についてはよく知らないが、01年の大阪の事件については、社会に適応できない男が破れかぶれになって間接的な自殺の道を選んだというのが僕の解釈だ。社会の中に自分の居場所がないという疎外感が、極端な自己否定となり自殺衝動を生み出す。しかし自分を傷つける勇気がない小心な男の中で、自己破壊に対する衝動は正反対にひっくり返って外部への殺意になったのだろう。子どもを殺しながら、犯人の男は自分自身を殺していた。死刑になることこそが犯人の望みであり、国家は裁判を通してその願望を叶えてやったことになる。犯人が死刑になったとき釈然としなかったのは、僕以外にも多くの人がそんなふうに考えていたせいかもしれない。

 しかしだ、凶悪事件の犯人が心から反省して罪を悔いたとしたら、今度はそれを処刑するのが難しくなるのではないだろうか。「悪いことをしました。ごめんなさい。もうしません」と反省し涙を流す人を、その上さらに殺してしまうというのは不人情だ。そもそも死刑という刑罰は、まったく改悛や更生の余地がない犯人がいることを見越して、その存在が許容されているのではないだろうか。まあ死刑制度の歴史的な変遷についてはよく知らないが、僕は気持ちの上でそう考えている。

 でも一方で僕も、死刑になる犯人が最後まで太々しい態度で「殺さば殺せ」と開き直ってしまうことに、やっぱり釈然としないのだ。死にたがっている人間を楽に殺してやるのは、制度的自殺幇助にすぎない。「殺されたくない!」「死にたくない!」と泣きわめく犯人を冷酷に処刑台に送ってこそ、死刑制度は「刑罰」としての意味を持つ。死刑制度は残忍な刑罰である。しかし死刑制度は残忍であってほしいし、残忍な制度でなければならない。凶悪犯罪に対する怨嗟と憎悪が、死刑制度に残忍さと酷薄さを求めるのだ。

 大阪の事件の犯人が処刑されたというニュースが報じられたとき、「犯人が反省もないまま殺されるのは納得できない。刑務所の中で反省するまで待って、その上で処刑してはどうか」と言ったワイドショーの司会者がいた。つまりこれは、犯人がしったりと死の恐怖を味わうべきだという意見だろう。無茶な意見だと思うが、これはこれで一般庶民の正直な気持ちなのかもしれない。

 さて、奈良の事件の犯人はどうなることやら。一般的にはひとり殺しただけでは死刑にならないのだが、この犯人はまったく反省の気配がないのであるいは死刑もあり得るのかも。どうせなら尖閣諸島に刑務所を作って、この手の「反省しない凶悪犯」を専用に収容したらどうだろうか。

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コメント

 お久しぶりでございます。幸い当地新潟では,ここ20年の間,死刑求刑事件も死刑判決事件もありません。新潟県人は本質的に平和な人たちが多いのです。しかし,上越国境を越えると,(以下略)
 しかし,死刑が予想される事件の弁護はしたくないものです。裁判官も相当に悩み,アル依存症になったりすることもあるようです。

投稿者: Barl-Karth (2005/04/22 21:36:17)

 同姓同名かもしれないけど,
 「第6民事部い係 603 毎週水・金曜日 井上 薫」
と言う裁判官が横浜でがんばっておられます。本を書くのが大変お好きな方のようですが,舌禍事件も時々起こすのが玉に瑕。東大理学部出身なので,文章は明晰で読みやすく・かつ刺激的です。

投稿者: Barl-Karth (2005/04/23 0:12:28)

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