2014年9月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

« 2005年4月17日 - 2005年4月23日 | トップページ | 2005年5月1日 - 2005年5月7日 »

2005.04.30

通勤電車はロボット化すべし

 兵庫で起きた鉄道事故で日本中が改めて感じたのは、都市部では通勤通学のラッシュ時に、列車が超過密なスケジュールで運行していることだった。日本の鉄道は発着時刻が正確無比で、時間を1分と違えずに列車が到着するのが当たり前になっている。列車の停車位置も数十センチと違えずに、ピタリとホームに到着する。鉄道利用者である僕などはそれが当然で自然なことだと考えていたのだが、少し考えれば、これは極めて高度なテクニックが必要なことだということがわかる。列車の運転手は秒刻みで列車を操作して、定刻ダイヤを守っているのだという。すごい仕事だと思う。しかしそれが、人間のやるべき仕事なんだろうか……。

 列車運行がここまで過密化して正確な運転を強要されるようになったからには、もはやそれを人間の五感に頼った技術で運行させるのは無理なのではないだろうか。たぶん現在の列車運行ダイヤは、人間が生身の感覚で操作できる限界を一部で越えてしまっているのだ。そこでは運転士にかなり大きな負担を強いているのだと思う。ATSなどの自動装置で列車運行をサポートすることも必要だろうが、過密化している路線についてはそれよりももっと踏み込んで、列車の運行をすべて自動化することを考えた方がいいのではないだろうか。

 列車の運転のように、毎日正確に同じ動作を繰り返すだけの作業なら、人間よりも機械の方がずっと巧みにこなすだろう。発達したコンピュータ技術と通信技術を使えば、通勤電車をロボット化することなど造作のないことだ。人間は異常が発生したときの緊急停車と非常時の運転だけを担当して、あとは機械任せにした方がよほどいいと思う。

 大型旅客機ですら操縦の大半は自動化されている。以前は離発着と上昇下降時に人間が操縦していたが、現在はそれも多くの部分で自動化されているようだ。列車は飛行機に比べて天候などの外的な影響を受けにくいのだから、旅客機以上の自動化が可能だろう。(ちなみに新幹線は運転がかなり自動化されていて、運転士が寝ていても列車はホームに停車するようになっている。)

 マスコミでは通勤ラッシュ時の過密ダイヤを問題視ししているが、この過密ダイヤによって全体の輸送量が確保されているのも確かだ。朝の一定時間にのみ都市部に通勤人口が集中するという現実を放置したまま、列車だけゆったり運転させても意味がない。列車1両あたりの利用客が増えて殺人的な混雑が生じたり、ホームに人があふれるなど、別の問題を生むだけではないだろうか。

 一度便利になったものは不便な状態に戻れない。緻密なダイヤはできるだけ守ったまま、列車運行をなるべく自動化することを考えた方がいい。高度にロボット化した電車なら、将来的には現在の倍の密度で列車を運行することだって可能になるだろう。

 地下鉄や新交通システムなどでは、ATO(Automatic Train Operation=自動列車運転装置)で無人運転が実現しているところも多い。導入コストは大きいだろうが、一度大事故を起こせば鉄道会社の目先の利益など吹き飛んでしまうことを、今回の事故は示している。安全性と利便性を両方満足させるために、通勤電車のロボット化は真面目に検討されるべきだと思う。

<業界の最新常識>よくわかる鉄道業界
舛本 哲郎 小須田 英章

日本実業出版社 2004-12-22
売り上げランキング : 46,251

おすすめ平均
鉄道曼荼羅
単なる業界紹介じゃない!

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

11:33 午後 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

2005.04.29

報道での禁忌語

 兵庫の列車事故で大勢の人が亡くなり、テレビでも新聞でも連日のようにこの事件を報じている。遺族たちの悲しみはいかばかりであろうか。生き延びた人たちが心と身体に受けた傷は、その人を今後一生苦しめ続けるだろう。しかし突然の病気や事故で人が亡くなったとき、日常生活の場では誰もが口にするある言葉が、テレビや新聞で表に出てくることはない。それは現実に目の前にある死をありのままに受け入れることをうながす、「これも寿命だ」「こうなるのが運命だった」という言葉だ。

 人間の生死は人間自身に決められるものではなく、人がいつどこに生まれ、どこでどんな風に死ぬのかは誰にも自分で決めることはできない。人の生死は一個人の意思の外にある。それを決めるのは、人知を超えた何ものかなのだ。寿命・運命・命運・命数・宿命・天命・天運などの言葉には、人間の知恵の尺度を超えた何ものかが、個人の生死に直接介入してくることに対する畏敬の念が込められている。

 ところが報道の言葉は、そうした「人知を超えた何か」を排除する。兵庫の列車事故の例で言えば、事故が起きて大勢の人が死んだのは、すべて運転手の制限速度違反なり、JR西日本の経営体質なりに還元されてしまう問題になる。でもそれは「殺人事件の原因は凶器の包丁である」という説明と何も変わらないのではないだろうか。

 人間の生死は、もっと目に見えない不思議に満ちているはずだ。同じ車両で隣に座っていながら、生死を分けた人たちがいる。その生死を分けたのは何なのか? それは「運転手の制限速度違反」や「JR西日本の経営体質」という事故原因を超えた何かだろう。それを考え始めたとき、人は自然と「運命」や「宿命」や「人間の寿命」というものに思いが至るのではないか。自分の意のままにならない生命の不思議さに、恐れを抱くのではないのか。

 「生命の尊厳」というのは、そうした不思議をたくさん含んだ概念だと思う。しかし日本のマスコミは、人間の命の問題からそうした不思議を奪い去る。運転手のスピード違反をとがめるのも、JR西日本を批判するのも大切だとは思うけれど、それは「なぜそこで特定の個人が死ななければならなかったのか」という疑問の答えにはならない。なぜ隣に座っていた別の誰かではなく、その人が死ななければならなかったのか。なぜ同じ運転手が運転する別の日の列車ではなく、その日のその列車が脱線転覆しなければならなかったのか。

 そこに人が理解できる、合理的な選別の基準などないのだ。ある人は死に、ある人は生き残る。それはもう「運命」であり、死んだ人はそれが「寿命」だったのだ。おそらくそれをもっとも強く感じているのは、事故で生き残った人たちではないだろうか。自分たちは九死に一生を得た。でもその理由はわからない。人の生死はいつでも、誰にも理解できない不思議の中にある。

 しかしその不思議を、テレビや新聞が取り上げることはない。人の生死はあらゆる不思議を取り去った後に残る瑣末な因果関係の中で語られ、生命の不思議が持つ尊厳や威厳は失われていく。今回の事故もその原因究明が進めば進むほど、そこで失われた人の命は逆に薄っぺらなものになっていくだろう。幾重もの不思議の向こう側に隠されていた人の生死の謎は、事故原因という名の無機質な箇条書きの中に溶けていくのだ。

11:32 午後 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

2005.04.28

晴天恐怖症

 今年は花粉症がひどかった。花粉の量が多かったという話もあるが、僕自身の花粉に対する過敏性が増しているのかもしれない。おそらく両方だろう。来年花粉の量が「平年並み」になれば、それで花粉症の症状は花粉の多かった今年より緩和されるのだろうか。どうもそうならないような気がする。

 花粉症がひどくなって気になるのは、毎日の天気予報で出している「花粉情報」だ。天気がよくなれば花粉が多くなる。雨の日の後の晴れは、特に花粉の拡散量が多くなる。花粉症の身としては、花粉が恐ろしい。外出したくなくなる。晴れた日は部屋に閉じこもっていたい。青い空を見ると憂鬱になる。僕は仕事にかこつけて、晴れた日はずっと部屋に閉じこもっていることが多かった。

 晴れた日に憂鬱になる。晴れた日は外出するのに気が重い。青空を見るとぞっとする。僕はこれを、花粉症による晴天恐怖症と勝手に名付けた。一体日本には、花粉症性の晴天恐怖症の人たちがどのくらいいるものなのだろうか。おそらく重度の花粉症に苦しんでいる人の多くは、晴天恐怖症になっているのではないだろうか。春先に鬱病や自殺、引きこもり、登校拒否や出社拒否が増えるとしたら、それと晴天恐怖症の関係については調べてみる価値があるかもしれない。

 連休に入れば花粉症も一段落。しかし青空を見ると恐怖する条件反射は、そう簡単に治りそうもない。

日本人はスギ花粉症を克服できるか
平 英彰


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

11:14 午後 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

2005.04.27

メルマガを休刊したい

 毎週水曜日は自分で発行しているメルマガの配信日。毎週1回の発行でもう310号まで出ているのだから、かれこれ6年ぐらい続けている計算になる。しかしこのメルマガ、今後も続けるべきなのか現在思案中だ。現在の発行部数は8千部ちょっと。一時は1万部を越えるところまで行ったのだが、最近は毎号確実に購読者が減り続けて現在に至っている。

 続けるかどうか思案している理由は簡単。これを編集するのに、結構時間を費やしてしまうからだ。内容にもよるけれど、簡単なものでも数時間はかかる。火曜日はたいてい、メルマガの編集に半日ぐらい使ってしまうのだ。そんな時間があるなら、同じ時間をかけて映画の感想を書いた方がいいんじゃないだろうか。

 僕は数年前まで1ヶ月に試写を50本ぐらい観ていた時期があって、その頃は国内で劇場公開される映画をほとんど試写で観ていた。だからそれについてのインデックスを、毎週映画の封切りに合わせて作ることには意味もあったのだ。でも今はどうなんだろう。試写を見る本数はめっきり減って、かっての半分以下。劇場公開のものも含めて、月に20本ぐらい観るのがやっとこさになっている。映画を観る時間が取れず、せっかく送ってもらった試写の案内を無駄にすることも増えている。なんとも不本意だ。以前は案内さえもらえば、どんな映画でも必ず観ていたのに、今は大手配給会社の全国公開作ですら観られない。案内がもらえないのではなく、案内をもらっても試写に行く時間がないのだ。

 なんで時間がないのかというと、それは映画を観るべき時間に他のことをしているからだ。一番時間を使うのは映画瓦版用に映画の感想を書くことで、これはまあ仕方がない。(僕にとって映画瓦版は最優先事項なのだ。)雑誌やWEB媒体に依頼された映画関係の原稿を書く時間も、ライター稼業としては当然必要な時間だろう。でも最近は映画とまったく関係のないことに、時間を費やしすぎている。映画と無関係な手間仕事を引き受けて、それに時間をとられすぎなのだ。フリーランスのライターだから来る仕事は原則断れないのだが、それでも映画以外の仕事はなるべく断らないと、肝心の映画を観る時間がどんどん減ってしまう。

 大きな仕事を引き受けて映画が観られなくなるにしても、それが映画関連の仕事であれば調べ物のためにビデオやDVDを観る必要もあって、それなりに勉強になることも多い。でもここ数ヶ月やっていたのはそうした仕事とはまったく無関係なので、やり終わってもまったく達成感がない。特別高い報酬をもらっているわけでもないし、その仕事を通じて僕の名前が世の中に知られるわけでもない。(有名になりたいわけではなく、ライターというのは自分の名前が露出しないと次の仕事につながらないのだ。)しょうがないのでもし今度同じ仕事を依頼されるようなら、見積の段階で「これだけくれるなら引き受けなきゃしょうがない」という値段を提示して、それに難色を示されるようなら断ってしまうつもりでいる。

 それと同時に、メルマガもどうしようかな~という状態。メルマガの編集に使っているのと同じ時間を使えば、映画の感想が少なくとも2本か3本は書ける。原稿料が出る仕事に使えば、それだけで数千円か数万円分の作業ができる。だったらメルマガなんてやめて、別の作業に振り分けた方がいいんじゃないのか……。

 現在の読者数が8千なので、とりあえずこれが5千を切ったらやめちゃおうかな~と漠然と考えている。最盛期が1万だから、その半分になればやめ頃かなと……。でも気分次第で、それ以前にやめることもあり得るだろう。逆に現在のメルマガにてこ入れして、まったく別コンセプトの映画メールマガジンに生まれ変わらせることもあり得るけどね。ま、そういったことも含めて、いろいろ思案中ということだ。なにかいいアイデアはないでしょうか?

メルマガで人気者になろう!
ゆうき ゆう

大和書房 2004-12-23
売り上げランキング : 7,966

おすすめ平均
儲かるんだ!
メルマガ配信入門者には最適だと思いますよ。
さすがです!

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

01:30 午後 | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック

2005.04.26

JRでまた脱線事故?

 「JR常磐線でまた脱線事故」とのニュース。しかしこれは、踏み切りで立ち往生したトラックに特急電車がぶつかったというもの。結果として列車は確かに「脱線」しているのだが、ニュースの見出しとして「脱線」を大きく扱うのは、事故の中身とかなりのずれがあるんじゃないだろうか。「踏切内のトラックに列車が衝突」よりは「JRでまた脱線!」の方が、新聞読者や視聴者の耳目を集めやすいということはあるだろうけど。でもこれは見出しの立て方として、だいぶピントがぼけているように思う。

 テレビも新聞も何かひとつのニュースが社会的に注目を浴びると、それに便乗して類似のニュースを次々報じる傾向がある。ニュース報道にもトレンドというものがあって、その時流に乗れば記事は紙面で大きく扱われたり、テレビでもトップ項目で扱われたりするからだ。兵庫で大きな列車事故があった。ならば「類似の事故」は世間の注目を浴びるだろう。それが「踏切事故」に「脱線事故」という見出しを付ける原因になる。

 ニュースには流行がある。ニュースには売れるニュースと売れないニュースがある。報道機関もひとつの商業媒体だから、売れないニュースよりは売れるニュースを取り上げたいと考えるのは当然だ。その結果「このニュースが売れる!」となれば全報道機関がそれに殺到する。少ないニュースソースを奪い合ってテレビも新聞も週刊誌も、画一化した金太郎飴のような報じ方になる。小さな砂糖粒に群がるようにニュースが世間に流れれば、報じるべき内容などあっと言う間に払底してしまう。するとそこでは普段なら報じないような些細な事柄までもが、さも重要なニュースであるかのごとく流れるようになる。

 古くはロス疑惑が、松本サリンが、オウム報道がそうだった。北朝鮮問題については今でも「なんでこれがニュースなの?」ということまで報じている。金正日の誕生日をNHKがトップで報じたときには、いったいNHKはどこの国の放送局なのかと疑ったが、民放も同じことだから後れをとりたくなかったのだろう。

 その時々の流行りすたりで報道内容が左右されるのだから、これはテレビのバラエティー番組と変わらない。一発ヒットが出れば後に続け!というわけだ。飛行機の事故が注目を浴びているときは、どんなに些細な事故でも重大事のように報じられる。三菱自動車のリコール隠しが問題になったときは、事故を起こした車が三菱製でさえあれば、原因がなんであれニュースになっていた。

 ホリエモンはニュースの価値は受け手が決めるものだと発言し、マスコミから総スカンを食った。たとえ目立たず注目を集めていなくても、世の中には報じる価値のあるニュースがある。そんな「報道の使命」を盾に取った批判が多かったが、日本の報道機関はそもそも「報道の使命」などと偉そうなことが言える立場じゃないだろうに。

鉄道重大事故の歴史
久保田 博


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

10:06 午後 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

2005.04.25

百科事典をEPWING化

 電子辞書や電子百科事典は便利なものなのだが、OSのバージョンアップなどでそのままでは使えなくなってしまうことが多い。僕がこれまでに買った電子辞書や百科事典は、平凡社の世界大百科事典、小学館のスーパーニッポニカ(ライト版)、ブリタニカ国際大百科事典の小項目版、それに学研のsuper日本語大辞典などだが、どれもバージョンアップを途中で投げ出してしまった。辞書の中身はほとんど何も変わっていないのに、バージョンアップだけはしろというのも理不尽。しかしバージョンアップしなければ辞書は無駄になってしまう。

 そこでいろいろ考えた結果、辞書のデータを電子ブックの規格であるEPWINGに変換することにした。検索ソフトのDDwinとデータ変換ソフトのEB Studioをダウンロードして、やはりオンラインで出回っているツールキットで各種辞書をせっせとデータ変換。ブリタニカがちょっと面倒くさそうなのでまだ作業を残してあるが、あとはほとんど変換を済ませてしまった。

 見出し語レベルとはいえ、複数の辞書や百科事典を串刺し検索できるのは便利だ。こんなことなら、もっと前にデータ変換してしまえばよかった。あとはブリタニカだな……。

 しかしこうした作業は、しょせん使用不能になっていたデータのサルベージに過ぎないような気がする。一番いいのは、やはりエンカルタのようなオンライン百科事典だろう。これは本文の中身がどんどん新しく更新されていくので、新しいニュースを反映した内容になっているのを発見して驚くことがある。オンライン百科事典ではWikipediaも時々参考にするのだが、これは記述の中身がまったくばらばら。マイナーな分野についてよく書けた詳細な記事がある一方で、重要な事柄の記事がまだまったく書けていないこともある。あくまでもボランティア作業によって成立しているものなので、記事の内容についても真偽を確認せずそのまま資料として使うのは危険だろう。僕はあくまでも、参考程度にとどめている。

 現在、平凡社の世界大百科事典はネットで百科というオンラインサービスが行われており、どうやらビジネスとしてもそちらに比重を移しているらしい。小学館のスーパーニッポニカも知識探求:JapanKnowledgeというサイトのコンテンツになっている。今からパッケージ版で電子百科事典を買おうと考えている人は、こうしたオンラインサービスを利用することも考えてみた方がいいと思う。問題は使用料金。ごくまれにしか使わないなら、ネットで百科の3分間無料体験で十分間に合うような気がする。それを越えるとネットで百科やエンカルタが安いのだが、JapanKnowledgeは内容充実のわりにはリーズナブルかも。

 新聞をとらない人が増えているそうで、じつは僕も新聞はとっていない。でも百科事典はあった方がいいと思う。JapanKnowledgeの利用料金なんて1ヶ月にたかだか1,575円。他は月々数百円だ。新聞代にくらべればずっと安い。僕はニュースはテレビで見ると割り切って、その背景については百科事典などを調べるようにしてます。

 それにしても、ブリタニカが日本でのオンライン百科事典サービスから撤退してしまったのは残念。海外では行っているサービスなので、いずれは日本でも再開してくれると思うのだけれど……。

スーパー・ニッポニカProfessional W版[DVD-
小学館


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

09:09 午後 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

2005.04.24

岩波の旧約聖書を買う

 岩波から新訳の旧約聖書が4分冊の合本で発売されたので、既に新約聖書を購入している僕は早速購入した。今のところ全体の半分、旧約聖書の1巻と2巻が出ている。残り2冊は追い追い出るらしい。新約聖書と同様に、ソフトカバーの通常版と、クロス装ハードカバー箱入りの机上版が出ている。僕は新約聖書を机上版で買ったので、旧約聖書も机上版を買ったけれど、これは失敗したな~と思っている。新約聖書1冊だけなら値段の差も「まあこんなもんか」で済むけれど、旧約も含めた5冊をトータルすると値段の差は結構大きいぞ。

 ちなみにお値段は、新約聖書が通常版で4,935円、机上版が5,985円で1,050円の違い。旧約聖書1は5,460円と7,350円で1,890円の違い。旧約聖書2は4,620円と6,300円で1,680円の差だ。岩波書店のホームページを見たら、旧約聖書3(4月26日発売)は通常版が5,670円で机上版が7,560円なので1,890円の差になる。最終巻の値段はわからないが、とりあえずここまででも、すべてを通常版で揃えるのと机上版で揃えるのとでは、なんと6,510円もの差が出ていることになる。

 こんなことなら最初から、新約聖書もちょっと安いソフトカバーにするんだった。値段は安くても、別に安っぽいわけじゃない。ただ机上版が立派すぎただけなのです。それに目を引かれて、「1,000円(+税)の違いで、ずいぶん立派な装丁になるのだから高い方を買っておこう」などとと考えたのが運のつき。これから岩波の聖書翻訳委員会訳を購入しようとしている人は、特別な理由や事情がない限り通常版を買った方がいいと思うぞ。どうせ中身は一緒なんだから。差額で別の本を買ったり、映画でも観た方がよさそうです。

 でも箱入りの聖書は本棚に納めるとじつに立派に見えるのも確かで、特に今回の旧約は外箱に使っている暗い赤(えんじ色)が上品でいい感じ。ハードカバーは本を開くとそこでピタリと開きっぱなしになることも多いので、調べ物などで机の上に開いておきたいときは便利。僕はもう乗り掛かった船でこのまま最後まで買うしかないから、これはこれで満足だと、少々やせ我慢気味に言っておくことにする……。

 岩波の新しい聖書は、新約も旧約も注や解説が豊富だ。訳語の適切さはギリシャ語もヘブライ語もわからないこちらには判断できないのだが、この注と解説は僕のような素人にも大変重宝する。聖書協会から出ているスタディバイブル(新約のみ)と似た感じだが、聖書協会の注は単なる用語集みたいなもの。それに対して岩波版は、本文の異読や別の訳の可能性を示唆してくれる。そしてこれが、じつに面白い。

 岩波の聖書は、聖書協会の聖書に比べればものすごく高価なものだ。でもそれだけの価値はある。ソフトカバーの通常版なら、新旧約5冊揃えても全部で3万円しないはず。以前の分冊にくらべれば、ずっと安価に聖書の全テキストを揃えられるのだ。教会で使う新共同訳や新改訳に飽き足らなくなってしまった聖書マニア(?)の本棚には、ぜひとも全巻揃えるべき聖書だと思う。オカルトマニアも買うべし!

旧約聖書 (1)
旧約聖書翻訳委員会


Amazonで詳しく見る
by G-Tools
旧約聖書 (2)
旧約聖書翻訳委員会

by G-Tools
新約聖書 机上版
新約聖書翻訳委員会

by G-Tools

08:32 午後 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック