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2005.08.20

ホリエモン出馬

 ホリエモンことライブドア社長の堀江貴文が、元自民党の亀井静香と同じ広島6区から立候補することが決まった。ホリエモンに政策や政治家としての手腕を期待する人はほとんどいないと思うが、「郵政民営化に賛成」という点が選挙の争点として煮詰まっていけば、選挙区で唯一の郵政民営化賛成候補として有権者の支持を受ける可能性はある。

 自民党としては「既成の秩序に挑戦するチャレンジャー」というホリエモンのキャラクター・イメージを利用したいだけだと思うし、期待されているのも「業界秩序の破壊者」としてのホリエモンのパワーだと思う。あまり選挙候補者として当たり前の政策論議などはしないで、「面白半分で立候補してどこが悪い!」と開き直ってしまった方が、かえって若い有権者の支持が得られるかもしれない。

 政治はつまらないものだと思われている。選挙はつまらないものだと思われている。誰がなにをやろうと、政治は変わらないと思われている。だから日本では投票率がやたら低いのだ。でもホリエモンには、そうした現状維持の停滞感をぶち壊すパワーが感じられる。それはプロ野球に参入しようとしたことや、テレビ局の買収を画策したことでも同じだ。ホリエモンの登場によって、業界の秩序は多少なりとも揺らいだだろう。

 必要なのはホリエモンが個人として何をするかではなく、彼の行動によって「既成の構造を変えようとすれば変わるのだ!」という意識が広がることではないだろうか。ホリエモンが選挙に出ることで、「政治って面白い」「選挙って面白い」と少しでも思う人が出てくれば、それはホリエモン効果としてプラスに評価すべきかもしれない。

07:51 午後 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

2005.08.19

映画『憂国』のネガ発見

 三島由紀夫の監督作『憂国』のネガフィルムが発見されたそうだ。彼はこの映画の中で割腹自殺する軍人を演じているが、その後本人が本当に割腹自殺してしまったことから、未亡人が残ったフィルムをすべて焼却処分してしまったと伝えられていた。今回の発見が映画史的にどれだけの価値があるのかはよくわからないが、三島由紀夫の研究者にとっては嬉しい話に違いない。

 いずれにせよ、こうして失われたと思われていた映画が発見されるのはいいことだ。それは似たような状況で、またどこからかひょっこりと「幻の作品」が発見されるのではないかという希望がわいてくるからだ。日本では映画史に残る名作と呼ばれる作品の多くが失われ、文献を通してしかその様子知ることができなくなっている。しかし場合によっては、そうした作品がどこかのコレクターの物置のすみに、ひっそりと眠っているかもしれない。

4101050023花ざかりの森・憂国―自選短編集
三島 由紀夫


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09:30 午後 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

2005.08.18

1日2食にしてみる

 僕は基本的に1日3食規則正しく食事をするのだが、しばらく前から朝食を抜く生活をしてみた。でもこれだと、朝走ったあとにまったく力が入らなくなってしまう。そこで昨日からは方針を変えて、朝は走ったあとしっかり食べ、その後、昼食を抜くことにしてみる。朝しっかり食べれば昼はそれほど腹も減らないので、これでいければこれで通す。そうすれば昼にバタバタ食事をする手間が省ける。

 午後の試写に間に合うためには12時過ぎに部屋を出る必要があり、僕の昼食は毎日11時15分から11時半頃だった。朝食が8時過ぎで昼が11時ではそもそも時間が詰まりすぎで、これは「1日3食」という習慣を満足させるためだけの食事。実際にはそれほど腹が減っているわけではないのだ。

 どうせ夕食は5時過ぎに食べるので、昼は抜いてしまった方がかえっていいのではなかろうか……というのが目下の考え。ただしこれは胃袋と相談しながら、具合が悪ければまた様子を変えます。

08:49 午後 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

2005.08.17

先生になってしまった

 9月からある映画専門学校で講師をすることになった。担当するのは映画史。生徒は300人ぐらいいるそうで、それを4クラスに分けて大教室で講義する。少人数ならワイワイ雑談していればいいや、とたかをくくっていたのだが、一度に70人や80人の生徒に話をするとなれば、それなりに原稿を作っておく必要がある。

 1クラスあたり3カ月間で90分授業が9回というスケジュールなので、それに合せて授業計画を作り始めた。文字資料はうちにあるものでたいてい間に合うと思うけれど、映像資料については学校でDVDなどを買ってもらう必要がありそう。そんなわけで、8月は結構忙しくなってしまった。

09:44 午後 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

2005.08.16

夏休み

 世間ではお盆休みの時期で、近所の商店や飲食店でも夏期休暇になっているところが多い。平日でも都内は道がすいている。僕はフリーなので、世間の夏休みとは無縁なのだが、それでも何となく試写通いを休んでいる。もっともこれは他の仕事との兼ね合いの問題で、部屋で仕事自体はしているんですけどね。

 17日頃からは平常通りの営業というところが多いので、東京都心が休みらしい休みになっているのは今日あたりが最後かも。こうして、休みに関係のない人のかたわらを、夏休みは過ぎ去っていくのだ。

11:52 午後 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

2005.08.15

終戦の日の記憶

 8月15日は日本の終戦記念日。日本がポツダム宣言を受諾したのは昭和20年の8月14日。降伏文書への署名は9月2日。しかし日本では天皇の玉音放送がラジオから流れた8月15日を「終戦の日」としている。この日に政治家が靖国神社にお参りすることも多く、日本武道館では全国戦没者追悼式が行われ、千鳥ヶ淵戦没者墓苑でも各種の追悼式典が行われた。

 8月15日というのはちょうどお盆にあたるので、「死者を追悼する日」として打って付けなのかもしれない。終戦の日をわざわざこの日にしたわけではないだろうが、墓参りと戦没者追悼がワンセットになった「8月15日」というのは記憶しておくには便利で、今後もこの日は日本人にとって忘れられない日とされるだろう。

 ただし最近ではポツダム宣言受諾や降伏文書署名の日こそが、本当の意味での「敗戦の日」だという批判もある。これは玉音放送で敗戦を知らされた全国民的な記憶が薄れているせいかもしれない。いやそもそも、玉音放送を聞いて泣き崩れる人々……という「昭和20年8月15日の記憶」が、本当に日本人全体で共有されていたのかどうかも疑問なのだ。戦争体験者が空襲体験や戦場体験、引き揚げ体験などを事細かに語ることはよくあるけれど、玉音放送の記憶について語る人はあまりいないように思う。

 8月15日の敗戦という記憶は、実際には昭和20年8月10日(長崎の原爆投下の翌日)あたりから8月末ごろ(降伏文書調印の直前)までの出来事が、記憶の中で集約されて作られたものなのかもしれない。日本の敗戦という事件は、天皇の玉音放送とお盆という「象徴性」に引き寄せられて、「8月15日=終戦」という記憶として定着してしまったのかも。これがお盆の時期でなければ、終戦の日はまた違った形で記憶されたかもしれない。

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11:47 午後 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

2005.08.14

深川祭

 3年に1度の富岡八幡宮例大祭、深川祭の神輿連合渡御に参加した。今回参加した神輿の数は54基だそうで、僕が参加した新川越一町会は先頭から15番目(駒札は十六番)。深川祭は「水かけ祭」の異名があるように、沿道から神輿や担ぎ手に向って大量の水をかける。このため天気が心配だったのだが、今年も天気予報が見事にはずれて快晴となりホッとした。

 以前天気が悪くて寒い日に祭がぶつかったことがあったのだが、見物はそんなことお構いなしにざぶざぶ水をかけまくり、参加者が寒さにブルブル震えて唇を紫色にしていた事がある。逆に夏の水不足で十分に水をかけてもらえず、炎天下を熱中症になりそうになりつつ歩いた事もあった。何度も参加しているといろんな事がある。今回は天気も上々で、水もたっぷりという好条件。

 本来は5時半に町会集合なのだが、僕は地下鉄を利用して直接門前仲町に向うことにした。5時に起きて祭装束に着替え、簡単に食事を済ませてから両国まで歩き、大江戸線で門前仲町まで3駅。途中の駅でやはり祭装束の人や見物の人たちが大勢乗ってきた。考える事は、みな似たようなものか。

 神輿の行列は富岡八幡宮前の永代通りを7時半に出発して東に進み、大横川を渡って東陽三丁目の交差点を左折して北進、扇橋小学校北の交差点を左折して再度大横川を渡ると、江戸資料館通り商店街で午前中の休憩。ここで簡単な食事が出る。我が町会はここでいつも、まい泉のカツサンドが出てくる。他におにぎりなど。ここで朝寝坊組が合流し、人数が少し増える。

 休憩を終えた神輿の列は清澄通りに出て右折し、清洲橋通りを左に折れて清洲橋で隅田川を渡る。高速手前の信号を左に折れて箱崎ジャンクションで消火栓の大放水の洗礼を受け、湊橋で日本橋川を渡って新川一丁目に入る。永代通りを渡って越前堀児童公園や明正小学校近くでお昼の休憩。ここで弁当が出る。新川の町会はほとんどが弁当を自分たちの家に持ち帰って食事をするようだ。僕も一度町会に戻って食事。この休憩が終わった時点で、人数はピークになる。おそらく出発時の2倍にはなっているだろう。

 午後は54基の神輿が永代橋を渡るところがクライマックスで、橋の上は神輿を高々と差し上げたまま渡り切る。あとはまっすぐに永代通りを直進して富岡八幡宮の前を通過し、富岡一丁目の交差点を右折して東富橋を渡ったあたりで、一応連合渡御そのものはおしまい。しかし牡丹町公園の近くに停めてあるトラックまで神輿を運ぶまで、ワッショイワッショイと神輿をかついでいく。この距離が長い。

 神輿をトラックに載せ終わったあとは、各自歩いて町会まで移動。清澄通りまで出て相生橋を渡って佃に入り、中央大橋を渡って新川へ。そこでまた、あんパン、カツサンドやお昼の弁当の残り、スイカなど、簡単な食事が出てから、今度は町内神輿。連合渡御は町会の近くを素通りしてしまうので、この町内神輿を楽しみにしている人たちも多い。ここでもジャブジャブ水がかけられる。一通り町内を回るとようやく終了。弁当と缶ビール、お風呂券などを配って解散となる。

 僕は親戚宅で濡れた衣装を着替えて、秋葉原まわりで帰宅。普段から下駄をはいて歩いているせいか、地下足袋で1日歩いてもほとんど足は疲れなかった。しかし顔や胸元、手足がばっちり日焼けした。

10:31 午後 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック