2014年9月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

« J・キャッシュの新約聖書 | トップページ | 現実逃避 »

2006.04.13

社民党は公教育を否定?

 社民党党首・福島みずほのブログ(参照)が荒れているという噂を小耳にはさんで野次馬見物に出かけたのだが、中身は取るに足らない靖国批判と国旗国家批判。しかしその中に、ちょっと聞き捨てならない一文があった。

上から弾圧しておいて、魂の自由のないところに教育はあり得ません。国家が個人の内心に入っていくことは大問題であり、教育に公権力は入ってはならないのです

 魂の自由なきところに教育なしとか、国家が個人の内心に干渉するのは大問題というのはわかるが、問題は太字にした部分。公権力が教育に関わるからこそ、それを「公教育」と呼ぶのではないのか? 公権力による教育への介入を否定したら、義務教育など成り立たないではないか! それとも社民党は公教育を解体して、すべてを私的な教育(親による教育、家庭教師、塾や予備校など)にしてしまえと主張しているのだろうか?

 「公教育」というのは公に開かれている教育のことで、公立学校などの公的機関だけでなく、市立学校や専門学校などの教育機関も、すべて公教育の範囲に含まれる。そうした教育機関はすべて学校教育に関する法律の下で、国家権力の保護と監督にもとづいて子供たちを教育しているわけだ。『教育に公権力は入ってはならない』という言葉は、そうしたことを一切否定してしまう。

 人間というのは教育によって人間になる。人間の子供を自然状態の中に放置しておくと、言葉もしゃべれず、知能や身体的な発達も遅れ、社会性も身につかないまま大人になってしまう。そして一度失われた教育機会を、あとから取り戻すことができない。これは数々の「野性児」の記録によって証明されている、児童心理学や発達心理学の基礎だ。教育とはそもそも不自然なものであり、そこには有形無形の強制が伴っている。日本の公教育、特に小中高などの初頭中等教育では、子供にどの程度不自然な強制をすべきかを、原則として国家が一律に決めている。それが日本の公教育なのだ。

 福島みずほは「心の教育に公権力は入ってはならない」という意味で、『教育に公権力は入ってはならない』と書いたのかもしれない。しかしそれは日本の学校教育から、子供の情操に関わる教育を排除しろという主張になってしまうのではないか? たぶん福島瑞穂だって、そんなことを考えているわけではあるまい。

 おそらくこの社民党党首には、「権力と教育の関係」についての明確な考え方などないのだ。「命の大切さを教える教育」や「男女平等を教える教育」「平和の尊さを教える教育」などに、たぶんこの人は大賛成だろう。これらも結局はイデオロギーでしかないのだが、こうした自分の許容できるイデオロギーや価値観が子供に強制されるのは許容し、自分の気に食わない価値観については学校現場から排除したいだけなのだ。おそらく本人にはそういった自覚がまったくないだろうけれど……。

04:59 午後 | 固定リンク

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/4474/9569762

この記事へのトラックバック一覧です: 社民党は公教育を否定?:

コメント

コメントを書く