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2006.04.11

罪のゆるし

 キリスト教の大きなテーマのひとつに「罪のゆるし」がある。新共同訳聖書ではこれを「罪の赦し」と記すのだが、ワープロで変換すると「罪の許し」になることの方が多い。「赦し」と「許し」とではそれほど意味が違わないかと思いきや、これが大いに違うのだ。何かを許可することが「許し」で、罪や過失などをとがめないことが「赦し」。キリスト教の「罪のゆるし」は後者。これが「罪の許し」では、いくらでも罪を犯すことを許可されていることにとられかねない。

 この問題は以前から気になっていたのだが、さっきたまたま映画評を書いていて「結婚のゆるし」という言葉を変換したとき、これが「結婚の赦し」になったことで改めて気になり始めた。僕は「結婚を許可してもらう」といいう意味で「結婚のゆるし」と書いたので、これは「結婚の許し」と変換するのが正しい。つまりまだ結婚は成立していないわけだ。これが「結婚の赦し」だと、カップルは既に結婚していることになる。夫婦は誰の許可も得ないまま結婚してしまったが、あとから「まあいいよ」と言われるのが「赦される」ということ。

 なお現代日本語表記では、「赦す」を「許す」と書いても間違いではないようだ。

04:51 午後 | 固定リンク

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