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2006.08.19

インスタントストア

Amazonにインスタントストアという機能ができた。早速作ってみたのだけれど、今後どうするかは不明。現時点ではサービス用のサーバーがとても重いようなので、もう少しサクサク動くようになったら何か考えようかな……。

12:41 午後 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

2006.08.18

4打数2安打

 午後は試写4本の強行軍。まずはソニーでブルース・ウィリスの新作『16ブロック』と、ウェズリー・スナイプス主演のアクション映画『ザ・マークスマン』を観る。『16ブロック』は完成度も高く面白い映画だったが、『ザ・マークスマン』は涙が出るほど安っぽいB級映画。しかしB級もここまで徹底していると、いっそ気持ちがいい。3本目と4本目はGAGA。まずは『ファイナル・デッドコースター』を観て、次が韓国映画『サッド・ムービー』。前者は試写室パラパラの入りだったがまずまずの面白さ。シリーズ1作目の『ファイナル・デスティネーション』と、シリーズ2作目の『デッドコースター』に続く第3弾だが、しゃあしゃあと2本の映画のタイトルをつなぎ合わせてしまうセンスに感服する。これはナイスな天晴れぶり。内容もエンターテインメント作品として、悪趣味ではあるが満足できるレベル。いや~、楽しい。続く『サッド・ムービー』は夜8時からという遅い試写なのに、なんと試写室満席。でも映画の内容はだいぶ物足りなかったな~。

11:55 午後 | 固定リンク | コメント(1) | トラックバック

2006.08.17

3戦3敗

 午後は3本。シネマートで『ミラクルバナナ』を観たあと、松竹で『旅の贈りもの―0:00発』を観て、そのまま松竹で『アダム』を観る。今回は1日で3本観て、3本ともイマイチもしくは、すごく不満の残る映画だった。いわば3戦3敗。3打席ノーヒット。こういう日は、疲れるよな~。どれか1本でもすごく面白ければ、それで元気になれるのに。

10:22 午後 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

2006.08.14

停電の朝の風景

 8月14日朝7時40分頃、首都圏で大規模な停電が発生した。その日の朝、東京都江東区亀戸在住のAさんは、テレビの臨時ニュースで停電発生を知った。テレビを見ていると、停電の範囲は次々に拡大していく。やがて自分たちの住む江東区も停電の範囲であることを知ったAさんは、部屋の電灯のスイッチを何度か入れたり切ったりして、自分の家は停電していないことを確認した。この間、Aさん宅のテレビがずっとつきっぱなしだったのは言うまでもない……。

09:06 午後 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

マイアミ・バイス

 午前中は早い時間に入稿すべき原稿を仕上げて入稿し、映画評も少し手を着けて、午後はUIPで『マイアミ・バイス』の試写。10分前に着いたのだがもう満席で、最後の補助椅子に滑り込んだ。試写状に上映時間が載っていなかったのだが、上映時間は2時間12分。これだと3時半からの試写は間に合わなくなるので、この日はこれ1本。銀座を歩いていると友人のSさんとバッタリ。今月中に飲みに行こうと約束。銀座伊東屋でマーカー類を見たり、八重洲ブックセンターで雑誌を購入したりしてから亀戸戻り。買物して帰宅。夕食は肉野菜炒め。Microsoft Moneyのデータが壊れてしまい、ここ何日か分の入力が消えてしまった。銀行口座などは通帳を見れば再現できるけれど、現金の出し入れは再現不可能だな~。Moneyはここ何年もバージョンアップしていないし、そろそろ別のソフトに乗り換える時期なのかも。

08:58 午後 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

シナリオ構造論

 近所に開店したBOOK OFFで、野田高梧の「シナリオ構造論」を見つけて買ってきた。1952年初版だから、もう半世紀以上前に書かれた本だ。内容はシナリオ入門ではなく、映画とシナリオについての理論書になっている。僕は450円の札が付いているところを、BOOK OFFのポイントを使って250円で購入したのだが、Amazonで調べたらこの本は現在絶版だそうで、マーケットプレイスでは5千円の値がついている。この本はつい最近別のBOOK OFFでも見かけているので、ちょっとした小遣い稼ぎをしたい人はBOOK OFFで探してみた方がいいかもしれない。

 この本は内容面でまったく古びていない名著だと思うが、いかんせん漢字の使い方が古めかしくて読みづらい。僕は読めない漢字の多くを読みとばしている。これは次に増刷するとき、ルビを振るなり、漢字をひらがなに改めるなりしてくれないと、今の映画学生などは手も足も出ないのではないだろうか。もちろん一部の漢字が読めなくても著者の述べていることは十分に伝わってくるのだが、やはり何となく読みとばしている部分が気持ち悪いのだ。

 例えばこの本の序論の部分だけでも、次のような漢字が次々に出てくる。これを読める人はどれだけいますか? 「纏まった」「或は」「所謂」「勿論」「耽って」「暫く」「鉤(実際はロではなくム)」「忽ち」「厩」「焔」「遂いに」「里程標」「行囊」「猿轡」「踉めき」「漸く」「斯くして」「爾後」「僅々」などなど。漢字検定の勉強をしているわけではあるまいに、これを読みこなせというのは漢字制限の中で育った世代にはちょっと無理だろう。

 以下、回答。たぶんこう読むに違いない。「まとまった」「あるいは」「いわゆる」「もちろん」「ふけって」「しばらく」「かぎ」「たちまち」「うまや」「ほのお」「ついに」「りていひょう(あるいはマイルストーン)」「こうのう」「さるぐつわ」「よろめき」「ようやく」「かくして」「じご」「きんきん」。

10:07 午前 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

2006.08.13

風化する戦争の記憶

 毎年この時期になると、テレビでは戦争の話。そして毎回「戦争の記憶を風化させてはならない」と紋切り型の締めくくり。しかし戦争の記憶は風化するのが当然なのだ。今年で戦後61年。街を歩いている年寄りだって、ほとんどは直接的な戦争体験(戦場体験)がないはずだ。戦争中に疎開したとか、空襲にあったとか、防空壕に避難したとか、食べ物がなくて苦労したとか、そういう体験はあっても、本当のドンパチを生身で知っている人たちは、日本からどんどん消えている。あと10年か20年もすれば、戦争をじかに知る人たちはますます日本から少なくなって、すべてが「戦後世代」になるだろう。そこで「戦争の記憶の継承」などとメディアは言うわけだが、そんなものが継承できるはずがない。

 日本では「戦争」と言えば日中戦争や太平洋戦争の話ばかりだが、それ以前の戦争については誰も何も話さないではないか。戦争の記憶を風化させてはならない、風化させずに継承することが可能だと考えるのなら、なぜ日本では日露戦争の記憶が語られていないのだ? それ以前の日清戦争はどうなのだ? 戊辰戦争の記憶はどこに行ったのだ? 日露戦争は太平洋戦争のたった40年前の出来事だ。日露戦争の記憶を語る人は、今から何年前に日本から消えたのだろう。10年前か? 20年前か? それとも30年前か? 僕は今年40歳になったが、子供の頃から今日に至るまで、日露戦争の記憶を継承している人になど会ったことがない。メディアでもそんなものを見たことがない。そうしてみると、たぶん40年前にはすでに日本から日露戦争の記憶は消えていたのだろう。40年前は日露戦争から60年ぐらいだ。だいたいそのぐらいで、戦争の記憶というのは風化してしまうのではないか。

 戦争は悪なのだという。この世に正しい戦争はないのだという。それを後世に伝えるためにも、戦争の記憶は風化させてはならないのだという。だとしたら太平洋戦争だけでなく、日露戦争の記憶だって風化させてはならないのではないか? 他の戦争の記憶は風化させてもいいが、太平洋戦争の記憶だけは特権的な位置になければならないという積極的な理由がどこにあるのだ? それは日本の負け戦だったからか? それはアジアに対する侵略戦争だったからか? もしそうだとすれば、それは「負け戦の記憶」の継承であり、「アジア侵略の記憶」の継承であって、「戦争の記憶」とはまた別種のことなのではないだろうか。

 折しも靖国神社のA級戦犯問題がマスコミを賑わせているが、ここでも語られているのは「日本を敗戦に導いた責任」であり、「アジア侵略の責任」であったりする。やはりこれは「戦争全体」とはあまり関係のないことだ。日本人にとって「戦争」とは「日中戦争」と「太平洋戦争」のことでしかないのか。なぜこの昭和の戦争を、少なくとも明治以降日本が戦ったいくつかの対外戦争の中で相対化できないのだろうか。昭和の戦争だけを特権的な場所に置いて他の戦争を無視するような態度を続ける限り、日本人は世界中で起きている「戦争」について、ひどくいびつで偏った意識を持つことしかできないのではないだろうか。

12:37 午後 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック