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2006.02.10

韓国の国産映画保護緩和

 午前中に少し映画評を書いて、午後は久しぶりに試写に出かけた。今日はソニーで韓国映画の2本立て。1本目はチェ・ミンシク主演の『春が来れば』という音楽教師もの。2本目はソル・ギョング主演の『力道山』。どちらも2時間を超える大作で見応えがあった。特に後者はなかなかのもの。同じ韓国で大山倍達の生涯を映画化した『風のファイター』という映画があったが、それとは比較にならないほどきちんと作られている。「韓国人の描く日本なんてどうせ……」という先入観が吹き飛ぶ力作だ。主演のソル・ギョングは台詞のほとんどすべてが日本語なので、それが気にならないといえば嘘になるのだが、時としてそのたどたどしい日本語が、表面的な演技の技法や技巧を超えた生々しい迫力を生み出している。

 韓国では国産映画の上映を映画館に義務付けてきたスクリーンクオーター制がアメリカの圧力で緩和され、これまで年間146日の上映義務が、半分の73日に削減する方針らしい。これが韓国映画にとって存亡の危機だとして、韓国の映画業界や映画人は一斉に反発しているという。『春が来れば』に主演しているチェ・ミンシクもそのひとりで、政府から授与された文化勲章を返上してしまったという。

 スクリーンクオーター制の存在が、ここ10年ほどのめざましい韓国映画界発展を助けてきたのは確かだろう。アクション巨編から大型時代劇、ラブコメ、ミステリー、メロドラマなど、この制度下で作られた多くの映画が日本にも紹介されている。玉石混淆ではあるけれど、優れた映画も確かに多かった。(今日観た2本の映画もそうだ。)しかしこうした制度がないと「韓国映画が滅びる!」というのはちょっと大げさ。日本には日本映画保護のためのスクリーン割り当て制度などないけれど、映画業界は滅びるどころか最近また元気になってきている。

 いままで保護下で成長を続けた映画業界が、保護を失うことで産業として衰退してしまっては意味がない。しかしここまで映画産業が育ったのだから、この制度はそろそろ見直し時期に入っていたのかもしれない。段階的に保護を撤廃して行き、最終的には保護をなくすという方向に進むのではなかろうか。そうでないと、こうした保護制度は、海外から入ってくる映画に対する障壁として働いてしまう。

 韓国映画は既に自国だけでは製作費を回収できない状態になりつつあるようで、輸出先の日本などから製作費の大半を回収する作品もあるという。今後は日本をはじめとするアジア各地から出資を募ったり、逆に韓国から日本や他の国の映画に投資したりして、韓国映画界がイニシアティブを取った形での「アジア映画」を作る方法を模索した方がいいのかもしれない。中国映画は既にそうしたことを狙っているようで、明日公開の映画『PROMISE』などはまさにそうしたコンセプトの映画だと思う。『PROMISE』は映画としてはつまらないけれど、映画作りの方法としては新しい何かを求めた作品なのだ。

 ハリウッドには世界中からお金が流れ込んで、あの映像コンテンツ王国を作り上げた。しかしハリウッドが世界で唯一の映像コンテンツ生産拠点である必要はない。アジアでも同じような映像製作の核を作ればいいのだ。韓国のスクリーンクオーター制緩和は、そうした新しいアジア映画の誕生への一歩につながっていくだろうか。

09:12 午後 | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック

2006.02.09

やたら歩いた1日

IMG_3910_1

 映画史の授業のため、西葛西の専門学校へ。先週は木場まで歩いたので、今回は一駅延ばして東陽町まで歩いた。今朝は寒かったのだが、早足でてくてく歩くと空気の冷たさも心地よい。最初はバスでの通勤を考え、次に地下鉄を乗り継ぎ、少し前には両国まで歩いて、先週から東西線の駅まで直接歩くことにチャレンジしたのだが、結局この方法が一番ストレスがなくていいのかも。大手町乗り換えは時間ばかりかかって面倒くさいのだ。時間で言えば、両国から乗るのが一番早いみたいだけれど……。

 映画史の講義も今日を含めてあと4回。そろそろネタ切れ気味なのだが、それでも3月までは何とかなるだろう。今回はドキュメンタリー映画を取り上げた。フラハティの『極北の怪異(ナヌーク)』(1922)から始まって、ルットマンの『伯林―大都会交響楽』(1927)、ベルトフの『カメラを持った男』(1929)、フラハティの『アラン』(1935)、リーフェンシュタールの『意志の勝利』(1935)、そしてアラン・レネの『夜と霧』(1955)の6本。

 どの映画も自宅のテレビやポータブルDVDで内容をすべて確認しているわけだが、学校の大きなスクリーンで観ると迫力が違う。大画面になった分、情報量が増えるのかもしれない。『極北の怪異』は人物の表情が細かく見えたのに驚いたし、『伯林』や『カメラを持った男』『アラン』などもじつに面白い。中でも『意志の勝利』はやはり素晴らしく、これはいつか機会があったら、大きな画面で最初から最後まで通して観たいくらいだ。『夜と霧』はテレビで観てもかなりショッキングだったが、これは大画面で観ると壮絶無残な印象が10倍増し。死体の山をブルドーザーでガガーッと穴に押し込んでいく場面は、あらかじめそうしたシーンがあることを知っているのに、全身から血の気が引くような衝撃だった。どの授業でも『夜と霧』の上映が終わって明かりがつくと、教室がシーンと静まり返っていたのが印象的。

 僕は『夜と霧』という映画と、フランクルの同名の本を通して出会ったのだ。もっともフランクルの本はナチスの収容所体験を綴った内容とはいえ、映画とはまったく何も関係がない。しかしこうしてレネの映画を観ると、フランクルの本に『夜と霧』というタイトルを付けた訳者や編集者のセンスはなかなかのものだと思う。しかし誰がどんなに言葉を尽くしても、あの、ブルドーザーでガガーッの衝撃にはかなわない。これはたぶん今の日本のテレビでは放送できないだろう。かといって映画館でかかるわけでもないので、DVDやビデオで観るしかない作品だと思う。そして一生に一度ぐらいは、ちゃんと観ておいた方がいい映画だろう。

 映画史の授業は硬軟取り混ぜて作品を紹介していくつもりなので、先週がフライシャー兄弟のアニメという軟らか路線だったため、今日はあえて硬派でヘヴィーな方向に走った。次回はどうしようか思案中。Amazonに注文してまだ届いていないDVDもあるので、その様子を見つつ内容を考えねばなるまい。残りあと3回で、何と何をやればいいのか頭を悩ませている。来年はどうなるのかな……。

 帰りは西葛西の学校から東陽町まで歩いて、そこからバスで錦糸町に戻った。これで今日は、自宅から学校までの片道分は歩いた計算になる。東陽町と西葛西の間は2駅分なのだが、これがじつに遠い。南砂駅から西葛西まで、荒川と中川をはさんでとんでもなく距離がある。今日はどうやって橋を渡るのかよくわからないままマゴマゴしていたこともあるが、西葛西方面から荒川を渡り切るまで30分以上かかってしまった。それから南砂までが、またちょっと距離がある。南砂を過ぎると、東陽町はすぐ。ここから自宅まで歩いて40分ぐらいだと思うけれど、さすがに1時間近く歩き通しに歩いた後、さらに40分歩く気になれなかった。でも最初からその気になっていれば、これは歩ける距離だと思う。

夜と霧―ドイツ強制収容所の体験記録
V.E.フランクル 霜山 徳爾
みすず書房 (1985/01)
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おすすめ度の平均: 4.83
4 必ずいつか読むときが来る本
5 無くなってはいけない本
5 語れないことを語ると

11:27 午後 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック