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2008.03.04
丘を越えて
作家で東京都副知事の猪瀬直樹の小説「こころの王国」を、高橋伴明監督が映画化した実録青春ドラマ。映画の最後は満州事変勃発で終わっているから、昭和5〜6年頃が舞台だろうか。池脇千鶴演じる菊池寛の私設秘書から見た文芸春秋社の内部事情と、菊池寛の独特なキャラクターが見もの。これにヒロインと朝鮮人青年のロマンスがからみ、それに菊池寛が横恋慕するという三角関係になったりする。時代風俗などなるべく再現しようとする苦心惨憺ぶりが面白いのだが、それはそれで、それなりに映画の味になっていたりする。西田敏行が演じる菊池寛が最高に面白い。今後はどこかで「菊池寛」という名前を見るたびに、僕は西田敏行演じるしょぼくれた菊池寛の顔を思い出すだろう。(日本映画史をひもとけば、菊池寛の名前は必ず出てくる。)
映画の最後に、主要キャストが勢揃いしたカーテンコール風に、「丘を越えて」でダンスを踊る場面がある。全員が円形に配置して、クレーンショットでバズビーバークレー風に……ならない。人数が少なすぎて、隙間が空いてしまうのだ。しかし案外これが、この映画の描いた世界を象徴しているのかもしれない。欧米に追いつけ追い越せで近代化の道を突っ走り、表向きはすっかり追いついた気になっていた昭和初期の日本人たち。彼らが踊る欧米風のダンスは、やりたいことはわかるんだけど、やっぱり本物とは全然似てもにつかない稚拙なものなのだ。
映画の中で池脇千鶴が演じているモダンガールの原型は、アメリカでフラッパーと呼ばれていた女性たちかもしれない。でもそんなモダンガールも、社長室の掃除をするときは手ぬぐいを姉さんかぶりにして、竹箒で絨毯の上のゴミを掃いたりしている。このちぐはぐさが、昭和初期という時代なのだ。映画の中の菊池寛はそんなヒロインの中に、樋口一葉に通じる「江戸のニオイ」を感じ取る。
こうした江戸のニオイは、戦災で完全に失われた。年配の人たちは今でも時折地口を使ったりしているが、それは戦後育ちの世代には引き継がれることがなかった。かくして、東京から江戸は消え去る。この映画は東京にまだ江戸が残っていた時代を、なんとか再現しようとしている。池脇千鶴がその期待に応えてがんばっている。この女優は関西弁も喋れば、東京下町のちゃきちゃきも演じるんだから大したものだ。
10:13 午後 | 固定リンク
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