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2008.04.26

子供の命は大人の半分

 青山学院大学の瀬尾佳美准教授という方が、自分のブログで光市母子殺害事件の被害人数を「1.5人」と書いて大騒ぎになっている(参照)。こんなのは「アホじゃねぇの?」で済んじゃう話なんだけど、でもまあ、世の中にはこういう見方もあるんだろうなぁ……とは思う。その証拠に、例えば母親が育児ノイローゼで我が子を何人か殺しても、絶対に死刑や無期懲役にはならないんだよね。できそこないの両親がパチンコ屋の駐車場で赤ん坊を熱射病死させても同じだし、家の中で幼い子供を虐待して殺しても同じこと。今の日本では大人をひとり殺すより、子供を殺す方が罪が軽く見られるというのが現実みたい。もっと卑近な例で言うなら、交通事故で小学生を轢き殺すのとサラリーマンを轢き殺すのとでは、民事補償の金額がだいぶ違うんだよね。問題のブログを書いたのは経済学の先生らしいけど、国際政治経済学や国際経済学の視点から見れば、子供の命を0.5人と考えるのはそれほど的外れなことではないのかもしれないな。まあ僕は経済の専門家ではないので、よくわからないけどさ……。

 ただここで不思議なのは、この準教授がそこまでシビアに人間の命の価値換算をしているくせに、『子供を死刑にするのは私の「正義感」には合わない』として、今ではもう少年でも何でもない27歳の被告人(まだ刑が確定してないから被告だろう)の死刑に反対することだな。これはおかしいよ。子供の命は大人の半分。価値としては0.5人分しかないわけだ。この考えからすれば、むしろ大人の犯罪者を死刑にするより、少年犯罪者を死刑にする方が「命のコスト」は小さくて済むわけで、制度としては優れているんじゃないの?

 量刑判断についても同じことが言える。現在の日本の司法制度では、人がひとりを殺しても長期の有期刑か無期懲役、ふたり殺して無期懲役か死刑になるのが「相場」だとされている。この準教授はそうした「命の相場」についてももちろんご存じだから、ブログの中でも『一審、二審の判断は、相場から言えば妥当なところ』だとおっしゃっている。でも殺された人数を「1.5人」と数えるなら、殺した側の人数も「0.5人」と数えないとおかしい。光市母子殺害事件では、0.5人の犯人が、1.5人を殺害したわけだ。これを一般の大人の犯罪に換算するためには、殺した側と殺された側の数をそれぞれ倍にすればいい。つまりこの事件では、大人がひとりで一度に3人の大人を殺したのと同じだよ。これだと司法の相場から見ても、死刑が当然なんじゃないの?

 経済学なんてものはなんでもかんでも数字に置き換えていくわけだから、一般的には市場で取引されていない命だろうと愛だろうと、数字や金銭に置き換えて考えていくことだってあるでしょう。光市母子殺害事件の被害人数を「1.5人」とすること自体を、僕は特に批判はしない。そういう考え方があったっていいのです。でもこの準教授は「殺された子供」の命は大人の半分に見積もるくせに、「殺した子供」の命は「正義」という新しい基準を持ち出して、大人以上に大きな価値を持つものとして扱っている。これは誰にだってわかる二重基準であり、学者の物言いとしてはまったく誠実さを欠いたものだと思うよ。

04:21 午後 | 固定リンク

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