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2010.06.11

議員が経費でマンガを買ってもいいけど

 文化庁メディア芸術祭というものがあって、毎年優秀なマンガやアニメやゲームを表彰し、受賞者には文部科学大臣から賞が贈呈されている。マンガは日本が誇る芸術なのだ。つい最近まで国立のマンガ図書館(国立メディア芸術総合センター)を作る計画もあった。マンガやアニメや映画を日本から発信できる文化や産業として海外に売り込もうという話は最近いろいろなところで語られているわけだから、国会議員がそうした政策について考える過程でマンガ作品を経費で購入したなら別に構わないんじゃないのかな。要するに仕事の資料としてなら、何に使おうが構わないというのが僕の考え。例えば僕は映画批評家という名のフリーランスのライターだけど、その場合、映画の入場料や書籍代(マンガも含む)はすべて経費になっている。

 ただし今回問題になっている荒井議員は、マンガを「資料」として購入したのではなく、事務所の備品・消耗品として購入しているらしい。これはダメだろう。マンガを買ったからダメなのではなく、仕事に必要ないものまで経費扱いしちゃ駄目さ。事務所職員の息抜きのために買ったマンガなら、せめて福利厚生費ぐらいにしておいてくれ。

 しかし報道やその後の反応などを見ると、「マンガを買った」という点に焦点が当たっているようだ。こういう批判をする人たちは、荒井議員が事務所の備品・消耗品として週刊誌やスポーツ紙を買っていても文句は言わないのかね。なんだかこれって、マンガに対する差別だと思うよ。問題は事務所の経費がずさんに管理されていたということであって、マンガを買ったということそれ自体を批判するような筋合いのことではないと思うけどな。

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2010.06.10

映画|ペルシャ猫を誰も知らない

Perusyaneko かつてはイラクや北朝鮮と共にアメリカのブッシュ政権から「悪の枢軸」と呼ばれ、最近は核開発問題で国際的に批判されながらも、映画ファンからは比較的好意的に観られている国イラン。なんたってイランには、アッバス・キアロスタミがいる。モフセン・マフマルバフとその娘のハナとサミラがいる。彼らの映画を観る限り、イランがそう悪い国だとも思えない。イスラム教国ではあっても、イランでは働いている女性も多いしね。でも今回この『ペルシャ猫を誰も知らない』を観て、イランというのはやっぱり厄介な国なのだなぁ……と思った。イランでは人々の生活が厳しく制約されていて、自由な表現活動ができないのだなぁ……と思わされた。この映画はテヘランで音楽活動をしている若者達を描いた青春映画だが、イランではロックを演奏すること自体が違法行為。「ロックは不良の音楽です」とかそういうレベルの話じゃなくて、ロックを演奏したら「犯罪者」にさせられちゃうのだ。当局の許可を得られれば演奏やコンサートは可能なのだが、その許可を得るのに何年もかかるし、どうすれば許可が得られるのか規準もまったくわからない。許可が得られなければ、ライブどころか練習をしていても警察に通報されて逮捕されてしまう。どのみちロックはダメなのだ。この映画はドキュメンタリーではないが、登場するバンドなどは実在のもの。たぶんそこで紹介されているエピソードも実際にあったことなのだろう。
(英題:No One Knows About Persian Cats)

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映画|ハロルドとモード 少年は虹を渡る

Haroldtomaude 家族の愛情に恵まれず、友だちもいないハロルドは、母親の気を引くためしばしば自殺の真似事を繰り返す問題児。趣味は他人の葬式に行くこと。愛車は霊柩車。そんな彼が、見ず知らずの他人の葬式で出会ったのが79歳の老婆モード。自由奔放に生を謳歌するモードに振り回されつつ、ハロルドは彼女の持つ生きる力に感化されていく。ハル・アシュビー監督のカルトムービー。バッド・コートが草食系男子の主人公ハロルドを演じているのだが、この映画の魅力はモード役のルース・ゴードンだろう。僕はこういう大人になりたいね。車を盗んで乗り回すとか、そういうことに憧れるわけじゃない。気持ちの若さ、何ものにも縛られない自由さ、何より過去や人生経験を武器に若者に説教しないところがいいじゃないか。でも一番の魅力は、身の回りの出来事のすべてにいつでもワクワクドキドキ、子どものようにいたずらっぽく目をきらきら輝かせているところかな。女性にとって「少年の目をした男」は魅力的なのかもしれないけど、男にとっても「少女の目をした女」は魅力的なのだ。
(原題:Harold and Maude)

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2010.06.09

映画|怪談 新耳袋 怪奇

Kaidannshinmimibukuro 人気ホラーオムニバス映画の最新作は、趣向の違う2本の中編(1時間弱)を2本セットにしたもの。どちらも主演が真野恵里菜だが、物語は独立している。1本目はバスの中で見掛けた奇妙な女につい声をかけてしまった結果、彼女に付きまとわれてとんでもないことになる女子大生の恐怖を描く「ツキモノ」。2本目は死んだ妹の幻覚を見る女子高生が、奇妙なものを見る力を持つ中年女性と出会って再生していく「ノゾミ」。先日観た『ムラサキカガミ』でも思ったことだが、最近のホラー映画はかつての幽霊譚と違って、物語が行ったきりになってしまうことが多いように思う。因縁話だの、道徳的な教訓だの、そういうものが一切無いまま、主人公がいきなり恐怖の中に放り込まれて、その中に放置されてしまう。そういう点で言うと、今回の映画では2本目の「ノゾミ」がかろうじて過去の幽霊譚の形式を守っている。主人公は日常から非日常へと取り込まれ、再度日常へと戻ってくる。物語の形式が整っているのだ。しかし「ツキモノ」にはそうした形式がない。主人公は非日常に放り込まれて、そこから戻ってくることができない。物語としては中途半端な感じもするが、映画としてのリアリティ(幽霊話にどこまでリアリティがあるかは疑問だが)としては、こうした行ったきりの方がずっとリアル。世の中全体から物語性が剥奪されて、行って戻ってくるという古典的な物語の形式を受け付けなくなっているのではないだろうか。決着がつかない世界。落とし前の付けようがない世界。そういう世界に、我々は住んでいるのかもしれない。

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最小不幸の社会

 菅直人新首相の目標は「最小不幸の社会」だそうだけど、これは「最大多数の最大幸福」というベンサムの定理の言い換え。菅首相によるこの言い換えを、「弱者切り捨てにならない社会という意味だ」ととらえる人もいるようだけど、僕はむしろ現代社会が「多数の幸福」を明確化できなくなっていることの表れだと思う。30年前なら経済成長を掲げることで、政治家は「最大多数の最大幸福」を目指すことができた。でも今は、国がどんな目標を掲げても国民の多くは「それは違う」と思うんじゃないだろうか。価値観が多様化し、国民の求めているものがみんな違ってきてしまっているのだ。ならば政治は「不幸を減らす」という最低限の要求にまで撤退するしかない。つまり生活を上に引っ張るのではなく、底上げをしていくということなんだろうね。しかし「不幸ではない」という状態は「幸福」とイコールではないから、僕はなんとなく管政権には夢がないなぁ……と思ってしまう。

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2010.06.08

映画|老人と海

Rojintoumi 与那国島でサバニと呼ばれる小舟で漁をする老人を取材した、1990年製作のドキュメンタリー映画。ヘミングウェイの小説「老人と海」の世界が再現されたようなドキュメンタリー映画。老漁師が2年間もの長い不漁に悩み、最後に大物を仕留めて凱旋するところなどは、まるで劇映画のようなドラマチックさ。(港に戻る途中でサメに魚を食われたりすることはないけれど。)映画は1980年代後半に取材して1990年に完成したものの、映画が東京で公開される前に主人公の漁師は海で亡くなったという。映画を観ていてもわかるのだが、カジキの一本釣りというのは若い漁師でも一歩間違えれば魚に海に引き込まれてしまう危険な漁だ。映画の中には若い漁師がカジキと格闘中に、船上で足に糸がからまって倒れてしまうヒヤリとするシーンが出てくる。映画に登場するサバニ漁は当時もこの映画に登場する糸数さんしか行っておらず、今ではまったく滅んでしまった漁法だという。彼の残したサバニは、映画の記念碑と共に今も与那国の漁協に展示保管してあるそうだ。(→参照

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映画『老人と海』公式サイト

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映画|終着駅 トルストイ最後の旅

The Last Station ロシアの文豪トルストイの名前はほとんどの人が知っているだろうし、その作品を読んだことのない人も「戦争と平和」や「アンナ・カレーニナ」「復活」などの作品に映画や戯曲の形で触れた人は多いと思う。ちなみに「♪カ〜チュ〜シャか〜わ〜い〜や、別れ〜の〜つ〜ら〜さ〜♪」という「カチューシャの唄」はトルストイの「復活」を日本で舞台化した際の挿入歌だったそうで、大ヒットしたのこの舞台で主演の松井須磨子が身に着けていたヘアバンドも大流行。今でもこのタイプのヘアバンドは、カチューシャと呼ばれているのである。トルストイが晩年に妻や家族との軋轢から家出をはかって客死したのも有名で、僕はシュテファン・ツヴァイクの「人類の星の時間」の中でこのエピソード(「神への逃走ー1910年十月の末 レオ・トルストイの未完成の戯曲『光闇を照らす』への一つのエピローグ(終曲)」)を読んだ。この作品の内容は今ではほとんど忘れてしまったが、自らの理想とする世界を求めた芸術家が、大作家の遺産を頼りとする家族の無理解に幻滅しながら家を飛び出し、愛する娘に見守られつつ挫折と失意の内に命を落とす……という印象がトルストイの最後には付きまとう。しかしそれは本当なんだろうか? それはトルストイという芸術家を神格化するあまり作られた、一種の偶像に過ぎないんじゃないの? ……というのがこの映画なのだ。どんなに立派な芸術家であっても、理想のためだけに生きるわけじゃない。理想を求め、理想を語りながら、自分はどっぷりと世俗的な生活の中に身を置いていて無自覚だったりする。この映画のトルストイはじつに人間くさい人物として描かれているのだが、だからといって偶像破壊をしているわけではなく、トルストイの立派なところはそのままに描きつつ、立派すぎる家族を持ってしまった周辺家族の悲劇を描いている。ヘレン・ミレンがじつにいいのだが、トルストイを演じたクリストファー・プラマーがじつにそれらしいのもいい。

(原題:The Last Station)

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2010.06.06

ZumoDriveをインストールしたものの

Zumodrive iTunesの音楽ファイルを複数のパソコンやiPhoneで共有できるというZumoDriveをインストールしてみたのだが、手持ちの音楽ファイルだけでざっと60GBあるので、オプションの容量拡充を申し込むとそれだけで毎月約2千円の出費。iPhotoの写真データも同期しようとすると、これがまた同じぐらいの容量なので、年間に何万円もの金を支払うことになってしまうなぁ……と思って、結局オプションを申し込むことなく無料の2GBだけ使うことにした。音楽データのバックアップは既に外付けHDDをTime Machineにしているわけだし、いつでもどこでもiTunesで管理している楽曲を聴きたいのならApple iPod classic 160GBを購入すればいい。これは定価が24,800円。つまりZumoDriveを1年契約するのとほぼ同じ料金で、iPod classicが買えちゃうのだ。たぶん「いつでもどこでも全楽曲を!」ということなら、これが一番シンプル。

Dropbox 僕は既に複数のMacとiPhoneでファイルを同期させるためにDropboxを使っているので(こちらはオプション料金を払って50GBに容量アップ。すごく快適!)、今からZumoDriveで同じことをやる意味がない。ファイル共有も、第三者へのファイル公開も、ZumoDriveとDropboxで同じようにできる。ならばサービスは一本に絞った方がいいわけで、僕としてはDropboxを利用してZumoDriveは削除しちゃおうかなぁ……と考えていたりする。

 ZumoDriveは、iTunesやiPhotoにたいしてデータが入っていない状態で、しかもiPhoneを使っていたりパソコンを複数台使っているという環境の人ならすんなり入り込めるだろうと思う。でもいきなりiTunesに60GBという状態だと、コスト面でのハードルが高すぎる。だってiTunesの中には、これから先も一生聴かないかもしれないような楽曲データも、とりあえず入れてあったりするわけだ。これはひとえにHDDの値段が安くなって、取り込んだ楽曲の保管コストが事実上ゼロになっているからできること。外部ストレージを使ってそれにお金を払うとなると、楽曲データの保管方法も含めて大幅に見直さなきゃならない。

 あえて高いコストを支払っても、ZumoDriveで楽曲や写真を管理しなければならない状況というのが、少なくとも個人利用に関してはあまりイメージできない。外出先で音楽を聴くならiPodでいいし、写真もこれまで撮りためた全データを閲覧したいなんて、別に外出先で思いついたりしないもんね。でも仕事でこうしたデータを使っている人たちは、こうしたサービスを必要とするかもしれない。

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